淡路焼(読み)アワジヤキ

デジタル大辞泉 「淡路焼」の意味・読み・例文・類語

あわじ‐やき〔あはぢ‐〕【淡路焼】

淡路島に産する陶器黄釉おうゆうによる鮮やかな色を特色とする。天保5年(1834)に賀集珉平かしゅうみんぺい創始珉平焼

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精選版 日本国語大辞典 「淡路焼」の意味・読み・例文・類語

あわじ‐やき あはぢ‥【淡路焼】

〘名〙 兵庫県南あわじ市付近で産する陶器。文政二年(一八一九)、伊賀村賀集珉平(かしおみんぺい)京都で陶法を学んで創始。おもに黄色の釉(うわぐすり)を用いる。珉平焼。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「淡路焼」の意味・わかりやすい解説

淡路焼
あわじやき

淡路島で焼かれた焼物で、珉平(みんぺい)焼ともいう。文政(ぶんせい)年間(1818~1830)淡路国稲田村(兵庫県南あわじ市)のしょうゆ醸造家賀集(かしゅう)珉平により、淡路島の伊賀野村(現、南あわじ市北阿万伊賀野)に開窯された。珉平は初め楽焼を試み、黄釉(こうゆう)、青釉を開発したが、1834年(天保5)には京都から陶工尾形周平を招き、1838年には茶褐釉、鬱(うつ)白陶を創製した。1842年、藩主蜂須賀(はちすか)侯は官窯を築き、珉平にこれを任せた。一般に京焼風のものが多いが、青磁白磁染付、色絵、安南写し、絵高麗(こうらい)写し、交趾(こうち)写しなども焼かれた。

[矢部良明]

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改訂新版 世界大百科事典 「淡路焼」の意味・わかりやすい解説

淡路焼 (あわじやき)

淡路国伊賀野村(現,兵庫県南あわじ市)の醬油醸造家,賀集珉平(かしゅうみんぺい)(1796-1871)が創始した窯で,珉平焼ともいう。珉平は京都の陶工尾形周平の示唆と指導を得て,1823年(文政6)ころ窯を築いたと伝える。茶陶から雑器まで多種の器皿を焼いたが、黄釉と鮮やかな色絵付をもっとも特色とし,中国の彩磁や染付,安南焼,交趾焼などと京焼の技法をとり入れた趣がある。この成功により藩主蜂須賀家の御用となり,明治維新後は広く海外へも輸出された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「淡路焼」の意味・わかりやすい解説

淡路焼
あわじやき

淡路国 (淡路島) 三原郡稲田村で,文政年間 (1818~30) に大地主の賀集 珉平 (かしゅうみんぺい) が始めた陶磁器。 珉平焼とも呼ばれる。 珉平は天保5 (34) 年に京都から陶工尾形周平を招いて陶芸を学び,茶褐釉や黄釉,青釉などをはじめ,絵高麗,艶黒釉などを発明した。同 13年,徳島藩主蜂須賀氏の官窯が同所に築かれ,珉平はその経営にあたった。この官窯と 珉平の個人窯であった本窯で品格のある陶磁器が焼かれ,海外にも輸出されて名声を得た。 1883年欅田善次郎が本窯を買収して淡陶会社を設立した。

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