淵上 白陽(読み)フチガミ ハクヨウ

20世紀日本人名事典 「淵上 白陽」の解説

淵上 白陽
フチガミ ハクヨウ

大正・昭和期の写真家



生年
明治22(1889)年

没年
昭和35(1960)年2月8日

出生地
熊本県

本名
淵上 清喜

経歴
日本におけるピクトリアリズム(絵画主義的写真)を推進した写真家として知られる。大正8年神戸で白陽写真場を開業、9年芸術写真研究を目的とする“神戸赤窓社”を結成。11年白陽画集社を設立して月刊の写真雑誌「白陽」を創刊。同年“日本光画芸術協会”を結成。昭和3年満州に渡り、16年帰国するまで、満州鉄道の総裁室弘報課の嘱託として、満州初の写真年鑑「満州写真年鑑」を刊行した他、8年創刊のプロパガンダ雑誌「満州グラフ」編集に携わるなど満鉄の宣伝・広報を手がけた。一方、7年満州写真作家協会を設立、12年同協会の機関誌「光る丘」を発行し、同協会のアマチュア写真家の作品を美術表現として紹介するなど様々な活動をくりひろげ、写真芸術の社会的な存在価値を追求した。戦後は日本写真文化協会事務局主事を務めた。平成6年名古屋市美術館で「異郷モダニズム淵上白陽と満州写真家協会」が開催された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「淵上 白陽」の解説

淵上 白陽 (ふちがみ はくよう)

生年月日:1889年11月14日
明治時代-昭和時代の写真家
1960年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android