淵沢 能恵(読み)フチザワ ノエ

20世紀日本人名事典 「淵沢 能恵」の解説

淵沢 能恵
フチザワ ノエ

明治〜昭和期の女子教育家



生年
嘉永3年(1850年)

没年
昭和11(1936)年2月8日

出身地
陸奥国和賀郡土沢(現・岩手県稗貫郡石鳥谷町)

学歴〔年〕
同志社女学校中退

経歴
武士の家に生まれる。一度結婚したが、のち離婚して実家に戻る。明治12年米国人鉄道技師家庭の保母として渡米、英語と家政を学ぶ。帰国後、同志社女学校に入学。東京、福岡、熊本などで女学校教師を務め、38年岡部長職子爵の紹介により朝鮮へ渡る。李王家信任を得て日韓婦人会を創設した他、同国の女性教育のために淑明女学校を設立し、学監を務めた。のち同校は梨花女子大学と並ぶ名門女子大学として知られる淑明女子大学となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android