精選版 日本国語大辞典 「清元お葉」の意味・読み・例文・類語
きよもと‐およう【清元お葉】
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
明治の女流清元の名手。2世清元延寿太夫(えんじゅだゆう)の娘で、母はお磯(いそ)。19歳のときに斎藤源之助(後の4世延寿太夫)を婿(むこ)に迎える。両親の優れた芸質を生まれながらに備え、恵まれた才能を遺憾なく発揚して夫を補佐(ほさ)し、清元節隆昌(りゅうしょう)のために精進を怠らず、市川九女八(くめはち)、3世哥沢芝金(うたざわしばきん)とともに明治女芸人の三幅対(さんぷくつい)と称せられた。横浜・富貴楼(ふっきろう)お倉の引き立てで、貴顕紳商の宴席の余興に招かれて浄瑠璃(じょうるり)を語っていたことから、5世延寿太夫の養母となる縁が結ばれる端緒となった。また小唄(こうた)発展への道を開拓した功労者としても著名である。
[林喜代弘]
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(竹内有一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…清元は流行歌を自流に取り込むことにたけ,日ごろから端唄風の作曲を心がけていた。清元お葉は16歳で《散るはうき》(最初の小唄といわれる唄)を作曲している。河竹黙阿弥作の《小袖曾我薊色縫》のために作曲された清元《梅柳中宵月(うめやなぎなかもよいづき)》(《十六夜》)の中の端唄《忍ぶなら》は大好評を得たが,この小唄もお葉の作といわれている。…
※「清元お葉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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