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清水六兵衛(3代) きよみず ろくべえ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

清水六兵衛(3代) きよみず-ろくべえ

1822-1883 江戸後期-明治時代の陶工。
文政5年9月1日生まれ。2代清水六兵衛の次男。京都清水焼。天保(てんぽう)9年家業をつぎ,宮中の大雪見灯籠2基を製作。明治期には染め付け洋食器も手がける。万国博覧会に出品するなど,京焼を海外にもひろめた。明治16年6月4日死去。62歳。幼名は栗太郎。号は祥雲。

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朝日日本歴史人物事典の解説

清水六兵衛(3代)

没年:明治16.6.4(1883)
生年:文政5(1822)
幕末明治期の京焼の陶工。清水六兵衛家は寛延年間(1748~51)に摂津国東五百住村(大阪府)から京都五条坂に移った初代六兵衛以来の陶家。2代清水六兵衛の次男として京都に生まれる。名は栗太郎。祥雲と号し,5代清水六兵衛(六和)の祖父に当たり,清水六兵衛家中興の祖ともいわれる。早くから紅花問屋に奉公に出されたが,長男放蕩のため呼び戻されて家督を相続。絵を四条派の文人画家として知られた小田海僊に学び,陶技を父より学ぶ。明治初年には宮川香山と東上し,横浜で西洋陶器の製法である石膏型の成形法を修得し,幹山伝七と共に研究したといわれる。明治6(1873)年京都府勧業御用掛となり,京都府の求めにより染付の洋食器を造り,伊羅保や織部釉のタイルなども造った。同8年第4回京都博覧会で初めて設けられた品評人(審査員)となり,あわせて銅牌も受賞。11年パリ万国博覧会,12年シドニー万国博覧会では銅牌を,16年アムステルダム万国博覧会では銀牌を受賞するなど,海外にも積極的に出品し,日本のやきものの声価を高め,国内では京都美術学校の創立に当たって建議者のひとりとして名を連ねるなど,京焼の発展に尽くした。伝統的な陶技による染付・赤絵などに大作を残しながら,洋風食器なども手掛け,幕末から明治にかけての新しい京焼の方向を模索したひとりである。

(伊藤嘉章)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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