湯地定監(読み)ゆち・さだのり

朝日日本歴史人物事典 「湯地定監」の解説

湯地定監

没年:昭和2.1.29(1927)
生年嘉永2.10.8(1849.11.22)
明治大正期の海軍軍人。町医湯地定之,天伊子の3男。鹿児島生まれ。長兄定基は貴族院議員,末妹静子は陸軍大将乃木希典の妻。同藩開成所,海軍所を経て明治4(1871)年工部省11等出仕,翌年兵部省11等出仕に転じ,機関学修業のためアメリカ海軍兵学校留学。14年帰国して海軍中機関士に任じられ,17年「筑紫機関長。翌年「浪速」回航委員,機関少監としてイギリスに派遣され,同艦機関長。その後「扶桑」「高千穂」各機関長などを経て,23年機関大監,佐世保予備艦隊機関長となり,日清戦争(1894~95)には連合艦隊機関長として出征,伊東祐亨司令長官を補佐した。30年軍務局機関課長,同年機関総監(のち機関中将),機関学校長となり,後進の指導に心を砕いた。機関学校修業期間短縮に反対し,また機関科士官の待遇改善に努めた。39年予備役編入,貴族院議員となった。<参考文献>伊地知四郎編『海軍中将湯地定監君』

(岸本昌也)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「湯地定監」の解説

湯地定監 ゆち-さだのり

1849-1927 明治時代軍人
嘉永(かえい)2年10月8日生まれ。湯地定基(さだもと)の弟。乃木静子の兄。薩摩(さつま)鹿児島藩医の子。明治5年機関学をまなぶためアメリカ海軍兵学校に留学。筑紫,扶桑などの機関長をへて,30年海軍機関学校長となる。中将。39年貴族院議員。昭和2年1月29日死去。79歳。

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