源湛(読み)みなもとのたたう

朝日日本歴史人物事典 「源湛」の解説

源湛

没年延喜15.5.21(915.7.6)
生年承和12(845)
平安前期の公卿。従三位。左大臣源融 と藤原総継の娘の子。嵯峨天皇の孫。19歳で叙爵,京官を歴任し,宇多天皇のとき4年間の蔵人頭を経て寛平5(893)年,参議。このとき筆頭公卿は72歳の父,左大臣融。延喜8(908)年,中納言となり,13年大納言に昇進したが,翌年に致仕した。30歳のとき死別した妻のために阿弥陀像1体を造って功徳を修したこと,52歳のとき亡父一周忌にその遺志をついで嵯峨棲霞観を寺に改めたことなどが菅原道真作の願文(『菅家文草』)から知られる。邸宅は平安京右京北辺の宇多院。

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源湛」の解説

源湛 みなもとの-たたう

845-915 平安時代前期-中期の公卿(くぎょう)。
承和(じょうわ)12年生まれ。源融(とおる)の長男。嵯峨(さが)源氏。蔵人頭(くろうどのとう),左近衛権(さこんえのごんの)中将をへて,寛平(かんぴょう)5年参議となる。のち従三位,大納言にすすむ。延喜(えんぎ)15年5月21日死去。71歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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