朝日日本歴史人物事典 「瀬川如皐(初代)」の解説
瀬川如皐(初代)
生年:元文4(1739)
江戸中期の歌舞伎狂言作者。大坂の振付師市山七十郎の子で,3代目瀬川菊之丞の兄。号東園。市山七蔵の名で役者となり,明和4(1767)年江戸に下って2代目瀬川菊之丞の門弟となって瀬川と改姓。天明3(1783)年作者に転じ,俳名の如皐を名乗った。同4年11月より立作者となり,初代桜田治助に次ぐ作者として活躍,主に弟菊之丞のために狂言を書いた。所作事の作詞にもすぐれ,常磐津「四天王大江山入」,長唄「狂乱雲井袖」などが知られる。2代目は江戸中・後期に活躍。号狂言堂,文車。享和1(1801)年中村座で2代目を襲名。「拙筆力七以呂波」など所作事に代表作が多いほか,『牟芸古雅志』『只今お笑草』などの著述も残した。<参考文献>守随憲治『歌舞伎序説』,河竹繁俊『歌舞伎作者の研究』
(安田文吉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報