日本大百科全書(ニッポニカ) 「熊野(能)」の意味・わかりやすい解説
熊野(能)
ゆや
能の曲目。三番目、鬘(かずら)物。五流現行曲。喜多流は「湯谷」と表記。作者については金春禅竹(こんぱるぜんちく)、観世元雅(かんぜもとまさ)との説もあるが不明。『平家物語』巻十「海道下(かいどうくだり)」を典拠とする。「熊野、松風に米の飯」と、何度見ても飽きることのない春の名作として、秋の『松風』と並称される。平宗盛(むねもり)(ワキ)は、愛人の熊野が東国に病む老母のために帰国を願っているのを許さずにいる。母の使いの朝顔(ツレ)が上京し、母の手紙を読み上げて熊野(シテ)はいとまを請うが、宗盛は今年ばかりの花見の友と、清水(きよみず)寺への供を命ずる。牛車(ぎっしゃ)の作り物が出され、清水への花見の道中と京都の春景色が描写される。心重く花見の宴に連なる熊野は、促されて舞うが、おりからの村雨(むらさめ)に散る花びらを受けて歌を詠む。「いかにせん都の春も惜しけれど馴(な)れし東(あずま)の花や散るらん」。これに感動した宗盛は帰国を許し、熊野はいそいそと都をあとにする。
後世への影響も大きく、山田流箏曲(そうきょく)、河東(かとう)節、長唄(ながうた)、うた沢にもとられ、それぞれ同題の作品がある。三島由紀夫作の舞踊曲としても6世中村歌右衛門(うたえもん)が上演しており、また三島由紀夫の『近代能楽集』の『熊野』は喜劇仕立ての作品となっている。1912年(明治45)に帝国劇場でユンケル作曲のオペラとして上演されたこともある。
[増田正造]