片山北海(読み)かたやまほっかい

精選版 日本国語大辞典 「片山北海」の意味・読み・例文・類語

かたやま‐ほっかい【片山北海】

江戸中期の折衷学派儒者。名は猷(ゆう)。字(あざな)は孝秩、通称忠蔵越後国(新潟県)の人。京の宇野明霞(めいか)に師事し、大典とともに明霞遺稿を刊行した。大坂で門弟三千人を集める。詩を好み混沌社結成し、大坂の詩壇を盛りあげた。門人筆録「孤雲館雑記」など。享保八~寛政二年(一七二三‐九〇

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デジタル大辞泉 「片山北海」の意味・読み・例文・類語

かたやま‐ほっかい〔‐ホクカイ〕【片山北海】

[1723~1790]江戸中期の儒学者。越後の人。折衷学派を奉じ、大坂で儒学を講じた。詩社の混沌社を結成。

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百科事典マイペディア 「片山北海」の意味・わかりやすい解説

片山北海【かたやまほっかい】

江戸中期の儒学者。越後の人。名は猷(ゆう),字は孝秩(こうちつ)。宇野明霞(めいか)の門人。京都相国(しょうこく)寺の学僧大典(顕常(げんじょう))と協力して,師の遺著を整理刊行した。明霞の没後大坂に下り,同地で詩社〈混沌社〉を結ぶ。多くの反徂徠(そらい)学の学者や詩人を育成したが,著述を好まず《北海文集》《混沌社詩稿》などは弟子の編集にかかる。同時期に京に江村北海,江戸に入江北海がおり,片山北海と合わせて三北海という。→頼春水尾藤二洲
→関連項目木村蒹葭堂

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改訂新版 世界大百科事典 「片山北海」の意味・わかりやすい解説

片山北海 (かたやまほっかい)
生没年:1723-90(享保8-寛政2)

江戸中期の儒者。越後の人。名は猷,字は孝秩,通称忠蔵,北海は号。18歳の時京都に出て,宇野明霞(1698-1745)について学んだ。明霞は荻生徂徠の儒学説を上方で最初に講じた儒者である。1745年(延享2)明霞の没したのを機に大坂に下り,以後終生大坂に住して,儒学と詩文の教授を業とした。刊行された著述はないが,混沌社(こんとんしや)を主宰したことで聞こえる。これは64年(明和1)に結成された詩社で,同人が集まって漢詩文を作り,批評し合った。当時,詩文を重視した徂徠学の影響のもとに,詩文が儒学から分離して知識人の文芸として流行しはじめ,各地に詩社が出現するが,混沌社はそのもっとも早いものの一つで,大坂の地に多くの詩人を育てた。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「片山北海」の解説

片山北海 かたやま-ほっかい

1723-1790 江戸時代中期の儒者。
享保(きょうほう)8年1月10日生まれ。京都で宇野明霞(めいか)にまなぶ。明霞没後は大坂にうつり,塾をひらいた。明和2年(1765)から漢詩の結社混沌社を主宰。尾藤二洲(じしゅう)らと交友があった。寛政2年9月22日死去。68歳。越後(えちご)(新潟県)出身。名は猷。字(あざな)は孝秩。通称は忠蔵。別号に孤雲館。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「片山北海」の意味・わかりやすい解説

片山北海
かたやまほっかい

[生]享保8(1723)
[没]寛政2(1790)
江戸時代中期の儒学者。大坂に住み,門人 3000人という。詩をよくし,渾沌社を設け,江戸の入江北海,京都の江村北海とともに三都の北海といわれた。著書『孤雲館雑記』。

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367日誕生日大事典 「片山北海」の解説

片山北海 (かたやまほっかい)

生年月日:1723年1月10日
江戸時代中期の儒学者;漢詩人
1790年没

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