朝日日本歴史人物事典 「片岡市蔵(初代)」の解説
片岡市蔵(初代)
生年:寛政4(1792)
幕末の歌舞伎役者。俳名我丈,我升。屋号竹川屋,天満屋,松島屋。敵役藤川鐘九郎の3男。幼名鐘三郎,のち鐘弥。文化7(1810)年,7代目片岡仁左衛門に師事し,片岡市蔵の名で大坂宮地芝居,浜芝居に活躍した。文政3(1820)年には大坂大西芝居に出勤,以後大坂を中心に江戸,京都,名古屋,伊勢などの舞台を勤める。一貫して敵役,実悪を演じ,「実悪の親玉」と称された。安政ごろから眼病と老衰のため休みがちで,文久2(1862)年5月大坂角の芝居が最後の舞台となった。大柄で声も大きかったが,品格に欠け,世話物,素朴な老役を得意とした。名跡は昭和期の5代目におよぶ。
(加藤敦子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報