20世紀日本人名事典 「牧野 富太郎」の解説
牧野 富太郎
マキノ トミタロウ
明治〜昭和期の植物学者 東京帝大講師。
- 生年
- 文久2年4月24日(1862年)
- 没年
- 昭和32(1957)年1月18日
- 出生地
- 土佐国高岡郡佐川村(高知県佐川町)
- 別名
- 幼名=誠太郎
- 学歴〔年〕
- 小学校中退
- 学位〔年〕
- 理学博士〔昭和2年〕
- 主な受賞名〔年〕
- 朝日文化賞〔昭和11年〕,文化功労者(第1回)〔昭和26年〕,東京都名誉都民〔昭和28年〕,文化勲章(死後)〔昭和32年〕
- 経歴
- 子供のころから植物に興味を持ち、小学校を中退して独学で植物学の研究を続ける。20歳を過ぎて上京後、東大の植物学教室に出入りし、明治20年、同好の士と「植物学雑誌」を創刊、21年には「日本植物志図篇」の第1集を出版した。26年東大助手となり、33年に東大から大型図解「大日本植物志」を発刊したが大学側の圧迫により中絶。43年に休職、大正2年には講師として復職はしたが、昭和14年に辞任するまでの47年間、不遇と貧苦にめげず植物分類学の研究に打ち込む。自ら発見、命々した新種、新変種は1500種とも2500種ともいわれ、その中には明治22年に日本人として初めて学名をつけた日本産植物のヤマトグサ、翌23年に発見したムジナモ、昭和2年に妻の名を冠して命名したスエコザサなどがある。著書に植物分類学上の経典とされる「日本植物図鑑」はじめ「牧野日本植物図鑑」「牧野植物学全集」、「牧野富太郎選集」(全5巻)、「牧野富太郎自叙伝」など多数。戦後の昭和25年学士院会員、28年尾崎行雄とともに初の東京都名誉都民となる。没後の32年文化勲章受章。昭和31年高知市に牧野植物園、没後の33年東京の都立大学に牧野標本館、平成11年高知市に牧野富太郎記念館が開館した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報