狩野永納(読み)かのうえいのう

精選版 日本国語大辞典 「狩野永納」の意味・読み・例文・類語

かのう‐えいのう【狩野永納】

江戸前期の画家山雪の子。号山静、一陽斎など。縫殿助と称する。古画鑑識にすぐれ、父の計画を受け継いで「本朝画史」を編集、刊行し、日本美術史研究の上に寄与。寛永一一~元祿一三年(一六三四‐一七〇〇

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朝日日本歴史人物事典 「狩野永納」の解説

狩野永納

没年元禄10.3.7(1697.4.27)
生年:寛永8(1631)
江戸前期の画家。名は吉信,字は伯受,別号は一陽斎,梅岳,素絢軒,山静など。通称は縫殿助。京都の人。狩野山雪長男。はじめ父から画法を学び,のちに狩野安信についたと伝えられる。代表作に「賀茂競馬図屏風」(東京国立博物館蔵),「四季花鳥図屏風」(ボストン美術館蔵)などがある。父ゆずりの学究肌で,画業のかたわら古画の研究にはげみ,また鑑識にも精通していた。元禄6(1693)年『本朝画史』5巻を刊行。これはわが国最初のまとまった画人伝の編述を企画した山雪の遺稿を受け継いで完成したもので,日本絵画史の研究上,重要な基礎資料のひとつとなっている。67歳で没し,京都の泉涌寺に葬られた。<参考文献>土居次義『近世日本絵画の研究』,榊原悟「一変狩野氏」(『古美術』96号)

(河野元昭)

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改訂新版 世界大百科事典 「狩野永納」の意味・わかりやすい解説

狩野永納 (かのうえいのう)
生没年:1631-97(寛永8-元禄10)

江戸前期の京狩野の画家。狩野山雪の子であるが,父の絵にみられる特異な矯激さは永納体質に合わなかったとみえ,いたって温厚な画風を示す。代表作としては《賀茂競馬図屛風》がある。むしろ永納は,父の学者肌の一面を受け継ぎ,父の手録をもとに黒川道祐の援助を得て出版した《本朝画史》(1693)の編著者として重要である。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「狩野永納」の解説

狩野永納 かのう-えいのう

1631-1697 江戸時代前期の画家。
寛永8年生まれ。狩野山雪の長男。父にまなび,狩野安信にも師事したという。寛文-延宝年間造営の御所の障壁画制作に参加。元禄(げんろく)4年(1691)父の草稿にもとづいて日本初の絵画史「本朝画伝」(のち「本朝画史」と改題)を刊行した。元禄10年3月7日死去。67歳。京都出身。名は吉信。字(あざな)は伯受。別号に一陽斎,梅岳,山静。作品に「賀茂競馬図」など。

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世界大百科事典(旧版)内の狩野永納の言及

【画論】より

…また《画工便覧》(1673ころ)は,《丹青若木集》の増補版というべき性質のものである。これらに続いて,狩野永納が編んだ《本朝画史》は,史観をともなった本格的な日本絵画論・絵画史として画期的なものである。狩野安信の《画道要訣》(1680),土佐光起の《本朝画法大伝》(1690)は,ともに秘伝として門人に与えられたものであり,内容には宋・元の諸画論の巧みな翻案が見られる。…

【本朝画史】より

…江戸時代につくられた日本画史・画人伝。狩野永納が父山雪の遺稿をもとに,黒川道祐の助力によって編集。1691年(元禄4)《本朝画伝》と題して出版,93年増補して《本朝画史》と改める。…

※「狩野永納」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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