玉松操(読み)たままつみさお

精選版 日本国語大辞典 「玉松操」の意味・読み・例文・類語

たままつ‐みさお【玉松操】

幕末の国学者勤王家京都の人。公家山本公弘の子。諱は真弘(まなひろ)醍醐寺にはいって僧となったが、僧律改革を唱えて還俗。慶応三年(一八六七岩倉具視を訪ね、知遇を受けてその側近となり、維新創業に画策した。のち政府の方針相容れず退官。「王政復古大号令」の渙発、神武創業への復帰の大方針は、彼の意見に基づくといわれる。文化七~明治五年(一八一〇‐七二

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デジタル大辞泉 「玉松操」の意味・読み・例文・類語

たままつ‐みさお〔‐みさを〕【玉松操】

[1810~1872]江戸末期から維新期の国学者。京都の人。本名、山本真弘。岩倉具視いわくらともみの側近となり、王政復古計画に参画。維新後、新政府の方針と合わず職を辞した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「玉松操」の意味・わかりやすい解説

玉松操
たままつみさお
(1810―1872)

幕末・維新の勤王国学者。本姓山本、名は真弘。西園寺(さいおんじ)家の末流である侍従山本公弘(やまもときんひろ)の次男として京都に生まれる。幼時より醍醐(だいご)寺に入り、猶海(ゆうかい)と称し、大僧都(だいそうず)法印の位まで得たが、僧律改革を唱えていれられず、還俗(げんぞく)して山本毅軒(きけん)、のち玉松操と改めた。国、儒、仏の典籍に通じ、尊王攘夷(じょうい)の説を唱えた。1867年(慶応3)岩倉具視(いわくらともみ)を訪ねてその知遇を得、その腹心として王政復古の計画に参画、維新後もその側近として重用され、1869年(明治2)徴士(ちょうし)内国事務権判事(ごんのはんじ)、1870年侍講となった。「王政復古の大号令」の渙発(かんぱつ)、神武(じんむ)創業への復帰の大方針はまさに彼の意見に基づくものといわれ、維新当初の復古的精神の一翼を担った。しかし新政府の方針が自らの意に反して開国主義、洋学採用の方向をとるのをみて、1871年憤懣(ふんまん)のなかに職を辞し、翌1872年うつうつたる心を抱いたまま世を去った。

[和田三三生 2016年6月20日]

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改訂新版 世界大百科事典 「玉松操」の意味・わかりやすい解説

玉松操 (たままつみさお)
生没年:1810-72(文化7-明治5)

幕末・明治維新期の国学者,公卿。京都の生れ。参議・侍従山本公弘の子。幼少のとき出家したが合わず還俗し,山本毅軒また玉松操と称して国学を学び,私塾を開いて教えた。1867年(慶応3)岩倉具視を知り,その謀臣となって大政奉還,討幕の密勅,王政復古などの画策に活躍した。維新後,徴士,内国事務局権判事,侍講などになったが,新政府の方針に反対し,辞任して京都に隠遁した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「玉松操」の意味・わかりやすい解説

玉松操
たままつみさお

[生]文化7(1810)
[没]明治5(1872).2.15. 京都
明治維新期の国学者。西園寺家の末流,侍従山本公弘の次男。初め醍醐寺に入り猶海と称し大僧都法印に上ったが,僧律改革を唱え,これに失敗し還俗して山本毅軒,のち玉松操と名のった。国学を大国隆正に学び,明治1 (1868) 年9月矢野玄道,平田銕胤らと皇学所の設立に奔走し,その教師となり,同2年9月東京に大学校が設立されると教師に任命された。維新には岩倉具視の腹心として王政復古の計画に参加 (宣言は彼の起案といわれる) ,同3年侍読となった。しかし新政府の開国主義に順応できず同4年辞任。死後 (84) ,その子真幸は父の功により男爵に叙せられた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「玉松操」の解説

玉松操 たままつ-みさお

1810-1872 幕末-明治時代の国学者。
文化7年3月17日生まれ。醍醐(だいご)寺の僧となるが,提唱した僧律改革がうけいれられず還俗(げんぞく)して大国隆正(たかまさ)にまなぶ。明治維新後,岩倉具視(ともみ)のもとで内国事務局権(ごんの)判事,侍読(じどく)などをつとめるが,政府の政策と意見があわず辞職した。明治5年2月15日死去。63歳。京都出身。本姓は山本。名は真弘。号は毅軒(きけん)。
【格言など】我不明にして奸雄に為に誤られたり(明治新政府の職を辞して)

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旺文社日本史事典 三訂版 「玉松操」の解説

玉松操
たままつみさお

1810〜72
幕末・明治初期の国学者
京都の人。初め醍醐 (だいご) 寺の僧となったが還俗 (げんぞく) し,のち大国隆正 (おおくにたかまさ) に師事し国学を学ぶ。岩倉具視の知遇をうけ,王政復古の大号令の発布に参画,「諸事神武創業ノ始ニ原 (もとづ) キ……」は玉松の主張による。のち新政府に出仕したが政府の開明化政策と合わず辞任した。

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