田中 角栄(読み)タナカ カクエイ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「田中 角栄」の解説

田中 角栄
タナカ カクエイ


肩書
第64・65代首相

生年月日
大正7年5月4日

出生地
新潟県刈羽郡西山町

学歴
中央工学校土木工学科〔昭和11年〕卒

経歴
高等小学校卒後上京、建築士から出発し、19歳で独立して設計事務所をもち、田中土建をつくり、終戦までにそれを数倍の規模に成長させた。昭和22年の総選挙で衆院議員に初当選し、以来16期連続当選。佐藤派に属し、法務政務次官を経て、39歳で郵政相として初入閣。その後、党政務調査会長、蔵相、幹事長、通産相歴任。途中“炭鉱国管疑獄”で逮捕(無罪)されたこともあるが、保守本流の参謀役としての地歩を固める。47年佐藤退陣を受けて田中派を結成、7月の総裁選で福田赳夫を破り、首相に就任。小学校出の首相として絶大な人気を得、日中国交正常化、日本列島改造に着手。しかし49年「文芸春秋」で、その金脈、不当な利潤を追及され、12月9日総辞職に追い込まれた。51年8月にはロッキード事件、5億円収賄容疑で逮捕起訴される。58年10月12日東京地裁で、懲役4年、追徴金5億円の実刑判決が下り、62年7月の二審でも支持された。首相退陣後も最大派閥田中派を率い、キングメーカーとして自民党に君臨していたが、60年2月脳梗塞で倒れ入院。以来一度登院しないまま、平成2年引退。10年生家のある新潟県西山町に田中角栄記念館が開館

没年月日
平成5年12月16日

家族
長女=田中 真紀子(衆院議員) 孫=田中 雄一郎(経営コンサルタント)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「田中 角栄」の解説

田中 角栄
タナカ カクエイ

昭和期の政治家 元・首相。



生年
大正7(1918)年5月4日

没年
平成5(1993)年12月16日

出生地
新潟県刈羽郡西山町

学歴〔年〕
中央工学校土木工学科〔昭和11年〕卒

経歴
高等小学校卒後上京、建築士から出発し、19歳で独立して設計事務所をもち、田中土建をつくり、終戦までにそれを数倍の規模に成長させた。昭和22年の総選挙で衆院議員に初当選し、以来16期連続当選。佐藤派に属し、法務政務次官を経て、39歳で郵政相として初入閣。その後、党政務調査会長、蔵相、幹事長、通産相を歴任。途中“炭鉱国管疑獄”で逮捕(無罪)されたこともあるが、保守本流の参謀役としての地歩を固める。47年佐藤退陣を受けて田中派を結成、7月の総裁選で福田赳夫を破り、首相に就任。小学校出の首相として絶大な人気を得、日中国交正常化、日本列島改造に着手。しかし49年「文芸春秋」で、その金脈、不当な利潤を追及され、12月9日総辞職に追い込まれた。51年8月にはロッキード事件、5億円収賄容疑で逮捕起訴される。58年10月12日東京地裁で、懲役4年、追徴金5億円の実刑判決が下り、62年7月の二審でも支持された。首相退陣後も最大派閥田中派を率い、キングメーカーとして自民党に君臨していたが、60年2月脳梗塞で倒れ入院。以来一度も登院しないまま、平成2年引退。10年生家のある新潟県西山町に田中角栄記念館が開館。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「田中 角栄」の解説

田中 角栄 (たなか かくえい)

生年月日:1918年5月4日
昭和時代の政治家。内閣総理大臣
1993年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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