田中 正造(読み)タナカ ショウゾウ

20世紀日本人名事典 「田中 正造」の解説

田中 正造
タナカ ショウゾウ

明治期の政治家,社会運動家 衆院議員(無所属)。 足尾鉱毒事件の指導者。



生年
天保12年11月3日(1841年)

没年
大正2(1913)年9月4日

出生地
下野国安蘇郡小中村(現・栃木県佐野市)

別名
幼名=兼三郎

経歴
19歳で名主を継ぎ、領主・六角家を批判して領地追放となる(六角家事件)。江刺県(現・岩手県)官吏を経て、明治12年「栃木新聞」を創刊。自由民権運動に参加。13年栃木県議、19年県会議長。この間中節社を組織、県令・三島通庸施政に反対して投獄される。23年第1回衆院選で当選、以来6期つとめる。24年から半生をかけて足尾鉱毒問題にとりくみ古河財閥や政府を追及、議会活動と被害農民の“押出し”(大挙上京請願運動)を展開。33年の大弾圧(川俣事件)後、憲政本党脱党、34年議員を辞し、幸徳秋水筆の直訴状により天皇に直訴。37年谷中村に居を移し、39年以降は谷中村遊水池化反対運動にかかわり、44年下野治水要道会を設立、利根川・渡良瀬川の治水問題に貢献した。「田中正造全集」(全20巻)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「田中 正造」の解説

田中 正造
タナカ ショウゾウ


肩書
衆院議員(無所属)

別名
幼名=兼三郎

生年月日
天保12年11月3日(1841年)

出生地
下野国安蘇郡小中村(現・栃木県佐野市)

経歴
19歳で名主を継ぎ、領主・六角家を批判して領地追放となる(六角家事件)。江刺県(現・岩手県)官吏を経て、明治12年「栃木新聞」を創刊。自由民権運動に参加。13年栃木県議、19年県会議長。この間中節社を組織、県令・三島通庸の施政に反対して投獄される。23年第1回衆院選で当選、以来6期つとめる。24年から半生をかけて足尾鉱毒問題にとりくみ古河財閥や政府を追及、議会活動と被害農民の“押出し”(大挙上京請願運動)を展開。33年の大弾圧(川俣事件)後、憲政本党を脱党、34年議員を辞し、幸徳秋水筆の直訴状により天皇に直訴。37年谷中村に居を移し、39年以降は谷中村遊水池化反対運動にかかわり、44年下野治水要道会を設立、利根川・渡良瀬川の治水問題に貢献した。「田中正造全集」(全20巻)がある。

没年月日
大正2年9月4日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

367日誕生日大事典 「田中 正造」の解説

田中 正造 (たなか しょうぞう)

生年月日:1841年11月3日
明治時代の政治家;社会運動家。衆議院議員
1913年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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