田村藍水(読み)たむららんすい

精選版 日本国語大辞典 「田村藍水」の意味・読み・例文・類語

たむら‐らんすい【田村藍水】

江戸中期の本草家。江戸の人。本名登、字は元台、通称元雄(げんゆう)、藍水は号。幕府医官となり、薬用人参の研究に従事。また宝暦七年(一七五七)江戸で日本最初の物産会平賀源内らと開いた。著作「人参譜」「琉球産物志」など。享保三~安永五年(一七一八‐七六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「田村藍水」の意味・わかりやすい解説

田村藍水
たむららんすい
(1718―1776)

江戸中期の本草(ほんぞう)学者。江戸神田の生まれ。通称元雄、名は登、藍水は号。阿部将翁(あべしょうおう)に本草を学び、諸国採薬して、その栽培に従事した。幕命でチョウセンニンジンの国産化を図り、種子栽培に努め、各地への移植に成功した。20歳でその方法を記述した『人参譜(にんじんふ)』を著す。30歳のときの著『人参耕作記』では栽培・調製法を記述した。36歳のとき幕府医学館教授となり本草を講じる。1757年(宝暦7)本郷(ほんごう)湯島で第1回物産会を催し、多年諸国から採集した動植鉱物類を陳列公開した。旅の不自由な当時、諸国の物産を一堂に集めた企画は、本草家相互の研究に便宜を与え、一般の好評を博した。門人に平賀源内、大槻玄沢(おおつきげんたく)、森立之(もりたつゆき)らがいる。

[根本曽代子]

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改訂新版 世界大百科事典 「田村藍水」の意味・わかりやすい解説

田村藍水 (たむららんすい)
生没年:1718-76(享保3-安永5)

幕府の医官。本草家。本姓坂上(さかのうえ)。名は登,字は元台,通称元雄。藍水は号である。江戸の生れ。15歳で医学を学び,本草を阿部将翁(?-1753)に学ぶ。早くからチョウセンニンジンに関心をもち,1737年(元文2)幕府から種子を下付され,栽培を試みる。63年(宝暦13)幕府の医官に任ぜられ,国産ニンジンの栽培,製薬に当たる。また諸国を巡歴し,物産調査を行った。57年弟子の平賀源内の提唱により,江戸湯島で薬品会(やくひんえ)を開く。翌年,翌々年と会主になり薬品会を開き,本草学の発展に貢献。著書は《人参譜》(1737稿),《人参製秘録》(1751稿),《朝鮮人参耕作記》(1764刊),《甘蔗製造伝》(1762稿),《中山伝信録物産考》(1769稿),《琉球産物誌》(1770稿)など多数。《豪猪(ごうちよ)図説》(1773稿)は,幕府から下付され飼育したヤマアラシの図説である。江戸に没し,浅草真竜寺に葬られる。墓は現存。
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朝日日本歴史人物事典 「田村藍水」の解説

田村藍水

没年:安永5.3.23(1776.5.10)
生年:享保3(1718)
江戸中期の本草学者。本姓は坂上,名は登,通称は元雄,藍水は号。江戸生まれの町医だったが,薬用人参の研究で注目され,幕府医官に登用されて日光の朝鮮人参栽培地の管理に当たった。後半生は博物学的色彩を強め,平賀源内の提唱で宝暦7(1757)年に湯島で開いた薬品会は江戸で初めての物産会であったし,『琉球産物志』(1770)は日本初の地方植物誌として知られる。田村西湖は長男,栗本丹洲は次男,門人に曾占春,後藤光生,平賀源内がおり,江戸での本草学・博物学の隆盛は藍水に始まるといってよい。広く各地に採薬し,薬草栽培や知識の普及を重視するなど,藍水の行動的な学風も江戸派に引き継がれた。<著作>『人参耕作記』『中山伝信録物産考』<参考文献>上野益三「田村藍水」(『博物学者列伝』)

(磯野直秀)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田村藍水」の意味・わかりやすい解説

田村藍水
たむららんすい

[生]享保3(1718).江戸
[没]安永5(1776).3.23. 江戸
江戸時代中期の本草学者。本姓は坂上,字は元台,名は登。通称元雄。宝暦7 (1757) 年湯島に物産会を開設,同 14年幕府の医員となり,禄 300石を給せられ,薬園で朝鮮人参の栽培などを行い,採薬に三十余州を経渉した。門人に平賀源内らがいる。主著『人参譜』『中山伝信録物産考』『琉球産物志』『諸州薬譜』『木綿培養伝』。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田村藍水」の解説

田村藍水 たむら-らんすい

1718-1776 江戸時代中期の本草家。
享保(きょうほう)3年生まれ。阿部将翁にまなぶ。宝暦7年江戸湯島でわが国最初の物産会をひらく。13年幕府の医師となり,チョウセンニンジンの国内栽培に従事した。門弟に平賀源内ら。安永5年3月23日死去。59歳。江戸出身。本姓は坂上。名は登。通称は元雄。編著に「朝鮮人参耕作記」,著作に「琉球産物志」など。

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