由良国繁(読み)ゆら・くにしげ

朝日日本歴史人物事典 「由良国繁」の解説

由良国繁

没年:慶長16.1.3(1611.2.15)
生年天文19(1550)
戦国時代の武将,上野国新田金山城主。成繁と館林赤井氏娘の嫡子。熊寿丸,六郎。刑部大輔,信濃守を称した。天正6(1578)年,父の死により家督を継ぎ,弟の館林城主長尾顕長と協力して東毛地方を支配した。同10年神流川合戦により北条氏が上野国に進出,国繁・顕長兄弟に金山・館林両城の開城を要求した。母妙印尼は,籠城して戦い,同12年暮れに城を明け渡したものの,同18年に北条氏を攻め滅ぼした豊臣秀吉によりこの戦いの功が認められ,常陸牛久5400石を与えられた。のち徳川家康に属し,慶長16(1611)年牛久に没した。

(唐澤定市)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「由良国繁」の解説

由良国繁 ゆら-くにしげ

1550-1611 織豊-江戸時代前期の武将。
天文(てんぶん)19年生まれ。由良成繁(なりしげ)の子。母は妙印尼。父の跡をついで上野(こうずけ)(群馬県)金山城主となり,北条氏に対抗したが敗北,所領を併合された。慶長3年豊臣秀吉より常陸(ひたち)(茨城県)牛久(うしく)に5400石余の領地をあたえられた。のち徳川家康にしたがう。慶長16年1月3日死去。62歳。通称は六郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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