甲申政変(読み)こうしんせいへん

改訂新版 世界大百科事典 「甲申政変」の意味・わかりやすい解説

甲申政変 (こうしんせいへん)

朝鮮で1884年(甲申の年)12月4~6日,守旧派政権に対するクーデタによって開化派が奪権を企図した政変。守旧派は清国との伝統的な事大=宗属関係によって旧体制を固執したことから事大党といい,開化派は清国との事大=宗属関係からの独立によって国政の革新をはかったことから独立党ともいう。封建制度を残したまま資本主義列強に開国した(1876)朝鮮にとって,国内体制の近代的改革は焦眉の問題となった。1884年8月にインドシナ問題をめぐる清仏戦争が起こり,開化派は一挙に守旧派から奪権すべく日本公使竹添進一郎協力を求め,同年12月4日洪英植を総弁とする郵政局開設宴に参席した守旧派に対するクーデタをのろしとして行動を開始した。金玉均,洪英植,朴泳孝らは,士官学生や壮士を指揮して国王高宗と王妃の閔妃(びんひ)を守旧派から隔離させ,日本軍の出動を求めて護衛した。5日には開化派を軸とする新政府をつくり,6日には新しい政綱を発表したが,袁世凱が1500名の清軍を率いて武力介入すると日本軍は引き揚げ,孤立無援の開化派は,金玉均,朴泳孝,徐光範ら9名が日本,アメリカに亡命したほか,殺害または処刑された。甲申政変は,開化思想がまだ大衆を把握するまえの,開明的な少数エリートによる突出したクーデタに終わり,日本軍の出動を求めて国王を護衛したため,むしろ大衆の反日感情を爆発させた。この政変は朝鮮開化運動史上の初期的段階といえる。
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百科事典マイペディア 「甲申政変」の意味・わかりやすい解説

甲申政変【こうしんせいへん】

1884年(甲申)朝鮮のソウルで起こったクーデタ。第2次京城事変とも。日本と結んだ金玉均朴泳孝らの開化派(独立党)が12月4日暴動を起こして王宮占領,清国にたよる守旧派の事大党政権の打倒を図った。日本軍も出動したが,清軍に敗れ,クーデタは失敗翌年,日清両国は天津条約を結び,両国軍の撤退と,出兵の際の事前通告を約定した。→壬午(じんご)軍乱
→関連項目井上角五郎袁世凱大阪事件小室信介竹添進一郎

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「甲申政変」の意味・わかりやすい解説

甲申政変
こうしんせいへん

1884年(甲申)朝鮮のソウルで、クーデターによって閔(びん)氏政権を打倒し、国王親政の下に国政を改革しようとして開化派が行った政変。1882年の壬午(じんご)軍乱以後、朝鮮の対外的危機が切迫してくると、支配層内部でも、実学の流れをくむ洪英植(こうえいしょく/ホンヨンシク)、金玉均(きんぎょくきん/キムオクキュン)、朴泳孝(ぼくえいこう/パクヨンヒョ)らを中心とする開化派は、明治維新をモデルに朝鮮の近代化を図ろうと、留学生の派遣、『漢城旬報』の発刊などに努める一方、高宗にも接近、啓蒙(けいもう)にも努力した。しかし当時清(しん)国と結んだ守旧派が政権を握り、改革を阻んでいた。84年清仏(しんふつ)戦争で清国が敗れたのを機会に、開化派は日本の援助を得て守旧派打倒のクーデターを行った。すなわち、12月4日、郵政局の落成式典に守旧派の大官を招待、隣家に放火、逃れる閔泳翊(びんえいよく/ミンヨンイク)らを殺傷し、ただちに王宮に入り高宗を掌握、クーデターは一時は成功した。開化派は新政府を樹立、6日には14か条からなる新政綱を発表した。内容は門閥の廃止、人材の登用、地租法の改革、特権商人の廃止、軍制の改革など、上からのブルジョア改革の志向を反映していた。しかし6日清国軍が介入し、新政権は三日天下に終わった。洪英植らは殺され、金玉均、朴泳孝は日本に亡命した。日本公使館は焼かれ、公使竹添進一郎は仁川(じんせん/インチョン)に逃れ、ふたたび守旧派政権が樹立された。この政変の評価は朝鮮近代史の論争点の一つで、北朝鮮では反封建・反侵略を目ざすブルジョア革命と評価しているが、単なる支配層内の政権争奪戦という見解もある。

[宮田節子]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「甲申政変」の解説

甲申政変(こうしんせいへん)

朝鮮では,清国がフランスとの戦争に忙殺されている機会を利用して,1884年12月,金玉均(きんぎょくきん),洪英植(こうえいしょく),朴泳孝(ぼくえいこう)らの開化派が竹添(たけぞえ)進一郎日本公使の協力を得て,守旧派に対するクーデタを断行した。約100名の日本兵が韓国王宮を警護したが清国が出兵したため,クーデタは3日間で失敗に終わった。開化派の指導者達は日本やアメリカに亡命した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「甲申政変」の解説

甲申政変
こうしんせいへん

1884年,朝鮮の開化派(独立党)が漢城で起こしたクーデタ
壬午 (じんご) 軍乱で政権を握った事大党を倒すため,開化派の金玉均らは日本の援助を得て王宮を占領したが,清の袁世凱の援助で王宮は奪回され,クーデタは失敗した。翌年,日清両国は天津条約を結び,両国軍の撤退,今後出兵のときは事前に通告することなどが約された。これにより,日本の朝鮮進出は挫折し,朝鮮の清国依存が強まった。

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世界大百科事典(旧版)内の甲申政変の言及

【天津条約】より

… なお,1885年4月の朝鮮問題に関する日清間での条約もある。朝鮮の甲申政変の結果,日朝間で漢城条約を結んだのに対し(1885年1月),天津において伊藤博文と李鴻章のあいだで締結され,朝鮮からの日清両国軍隊の撤兵,両国軍事教官派遣の停止,朝鮮出兵の際の相互事前通告などを決めた。これによって朝鮮出兵に関して日清両国の立場は対等になった。…

※「甲申政変」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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