畠山直宗(読み)はたけやま・ただむね

朝日日本歴史人物事典 「畠山直宗」の解説

畠山直宗

没年貞和5/正平4.12(1349)
生年:生年不詳
南北朝時代武将。大蔵少輔。美濃(岐阜県)に所領を得た畠山氏の庶流で父は宗国。康永3/興国5(1344)年,足利直義が新熊野社に参詣したときの供奉人中にみえ,直義から諱の1字をもらった名乗りと思われる。直義が兄尊氏の執事高師直と対立を深めていくなか,上杉重能,禅僧妙佶らと師直・師泰兄弟謀殺を企てるが内通され,貞和5/正平4(1349)年8月,師直はクーデタにより彼らの引き渡しを要求。尊氏の調停で重能と共に越前に流されたが,師直の討手により配流先で殺された。直義の側近中の側近でありながら,独自の軍事力を持たず,叔父などとの連携もならないまま,あっけない最期を遂げた。

(石田晴男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「畠山直宗」の解説

畠山直宗 はたけやま-ただむね

?-1350* 南北朝時代の武将。
畠山宗国の子。足利直義(ただよし)と足利尊氏の執事高師直(こうの-もろなお)が対立した際,上杉重能(しげよし)らと師直の暗殺をはかり失敗。尊氏により貞和(じょうわ)5=正平(しょうへい)4年重能とともに越前(えちぜん)(福井県)に流されたが,12月20日師直の部下に殺された。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の畠山直宗の言及

【畠山氏】より

…(1)平安末・鎌倉初期の関東豪族(図)。桓武平氏。秩父重弘の子重能(しげよし)が武蔵国畠山荘(埼玉県大里郡江南町付近)の荘官となって畠山氏をおこし,一時源義朝に属した。重能の子畠山重忠は,源頼朝の挙兵にあたり,平氏に味方したが,まもなく頼朝に帰順し,有力御家人となり,同国菅谷(比企郡嵐山町菅谷)に居館を構えた。しかし1205年(元久2)子重保が平賀朝雅と争ったことから,一族とともに北条時政に誘殺され,家が絶えた。…

※「畠山直宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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