白浜(町)(読み)しらはま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「白浜(町)」の意味・わかりやすい解説

白浜(町)
しらはま

和歌山県南西部、太平洋に面する西牟婁(にしむろ)郡の町。1940年(昭和15)瀬戸鉛山(せとかなやま)村が町制施行して白浜町となり、1955年(昭和30)南富田(みなみとんだ)村、1958年富田村と旧西富田村地区(田辺市から分離)を編入。2006年(平成18)日置川町(ひきがわちょう)を合併。JR紀勢本線(きのくに線)、国道42号、紀勢自動車道(南紀白浜日置川各インターチェンジ)が通じ、南紀白浜空港もある。町名は中心部にある白良浜(しららはま)海岸の名にちなむ。

 町域は田辺湾の南を囲む小半島部と富田川下流域にわたっていたが、日置川町を合併したことにより、日置川中・下流を含め、東に大きく拡大している。半島部は平草原(へいそうげん)(標高131メートル)を含む海岸段丘で、白良浜や臨海(りんかい)浜など海水浴に適した砂浜や泥岩岩脈、化石漣痕(れんこん)(いずれも国の天然記念物)などの隆起地形とともに、海食洞のある円月(えんげつ)島(国の名勝)、三段壁の断崖(だんがい)、千畳敷(せんじょうじき)の岩盤、畠(はたけ)島・神(か)島などの小島の沈降地形もみられる。円月島と石英・珪石(けいせき)を含む白良浜は白浜のシンボルとされている。中心の白浜地区は藩政期は半島北部の瀬戸村と南部の鉛山村に分かれ、鉛山では一時黄銅鉱採掘が行われた。鉛山の湯崎温泉は古来牟婁湯(むろのゆ)として知られた。湯治場のほかは田畑も乏しく、おもな生業は瀬戸地区を主とする漁業であった。第一次世界大戦後、掘削により白浜温泉が開発され、温泉観光地として急速な発展をみた。景勝にも恵まれ、ゴルフ場、水族館、美術館、紀州博物館、民俗温泉資料館、陸や海の動物を集めた「アドベンチャーワールド」など施設も多い。海岸では真珠ハマチ養殖が進められている。近年では花卉(かき)栽培が盛んで、花卉団地もつくられている。また、日置川地区では林業、沿岸漁業が行われている。なお、町域中西部には椿(つばき)温泉がある。また、2004年には富田坂から始まる熊野古道大辺路(おおへち)が「紀伊山地の霊場と参詣(さんけい)道」として世界遺産(文化遺産)に登録された。面積200.98平方キロメートル、人口2万0262(2020)。

[小池洋一]

『『白浜町誌』全5冊(1984~1988・白浜町)』


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