皇位継承(読み)コウイケイショウ

デジタル大辞泉 「皇位継承」の意味・読み・例文・類語

こうい‐けいしょう〔クワウヰ‐〕【皇位継承】

皇位を承け継ぐこと。

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精選版 日本国語大辞典 「皇位継承」の意味・読み・例文・類語

こうい‐けいしょう クヮウヰ‥【皇位継承】

〘名〙 天皇の地位を受け継ぐこと。その資格順序は、皇室典範に定められている。
※皇室典範(明治二二年)(1889)一章「皇位継承」

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改訂新版 世界大百科事典 「皇位継承」の意味・わかりやすい解説

皇位継承 (こういけいしょう)

7世紀末までの皇位継承を《古事記》《日本書紀》によってみると,16代の仁徳天皇まではほとんどが父子間の直系相続であり,仁徳以後持統までは,父子間相続6,母子間1,兄弟間10,姉弟間2,叔父・甥間1,夫婦間2,三親等以上をへだてた相続3の計25例で,兄弟相続が多い。応神・仁徳を境として,皇位継承の原則に大きな変化が起こっているように見える。しかし,父子直系相続は7世紀末以降の天皇の目ざした皇位継承法であり,兄弟相続は日本固有の継承法であることからすると,応神以前の直系相続は記紀編纂の過程で作為された可能性が強い。また,記紀にみえる天皇の名称をみると,7,8,9代の孝霊,孝元,開化と41,42,43,44代の持統,文武,元明,元正はヤマトネコ,10,11代の崇神,垂仁はイリヒコ,12,13,14代の景行,成務,仲哀と34,35代の舒明,皇極はタラシヒコ(メ),15,17,18代の応神,履中,反正と38代の天智はワケ,27,28,29代の安閑,宣化,欽明はクニオシという称をもつというように時期により特色があり,それらを検討すると,7~9代の名称は持統以下の名称を手本に,12~14代の名称は舒明,皇極の名称を手本にして作られたと推定される。これに加えて記紀には9代までの天皇の事績については神武以外ほとんど所伝がないこと,10代の崇神が初代の天皇を意味する所知初国(はつくにしらす)天皇の称号をもつことなどから,9代までの天皇の実在性は疑われている。10代以後も,皇居や陵墓の所在地や称号の変化などから,10~12代の天皇は大和を根拠としていたが,15~25代の天皇は河内平野を主要な根拠地とする別系統の天皇ではないかとして,前者を三輪政権(初期大和政権),後者を河内政権と呼ぶ説もある。同様に26代の継体以後の天皇もそれまでとは別系統の天皇とする説もある。これらの説に従えば,古代の皇位継承は,10代の崇神以後2度断絶したが,6世紀中葉以降に,万世一系の思想により崇神からはじまる一系統の系譜にまとめ,さらに崇神以前の系譜をつぎ足したということになる。しかしこれも一つの解釈ないし仮説であって,古代の皇位継承にはなお多くの疑問が残っている。
王朝交替論
執筆者:

大化以前の皇位継承については,天皇が任意に選定したとする中田薫の選定相続説,天皇が神意により卜定したとする滝川政次郎の卜定相続説,末子相続から兄弟相続への移行を説く白鳥清の兄弟継承説,あるいは大兄(おおえ)(同腹中の長子)からその兄弟,ついで大兄の子の順に継承反復したとする井上光貞の大兄相続説などがある。そして天智朝に至り,中国より継受した嫡長子相続主義にもとづく皇位継承法が定められたとも説かれている。しかし爾後の実例に徴すると,皇嗣の選定は,嫡系男子の優位を認めながらも,天皇(あるいは上皇)の勅定するところであり,明治の皇室典範制定以前は,立太子の詔において初めて皇嗣を冊定するのを本則とした。ただ立太子の儀はときに省略された例も少なくなく,ことに室町時代から江戸初期にかけて中絶したが,霊元天皇がこれを再興するに当たり,立太子に先立ち朝仁親王(東山天皇)を儲君(ちよくん)に治定したのが例となって,明治の嘉仁親王(大正天皇)の立太子に至るまで,儲君治定が実質的な皇嗣冊立を意味した。

皇位継承者は,いうまでもなく皇親に限られる。推古天皇をはじめ皇后から皇位を継いだ例も数例あるが,皇曾孫の皇極,皇孫の元正以外の女帝はみな皇女である。継嗣令に〈女帝子〉の語が見えるから,令制では女帝の存在を公認しており,江戸中期の後桜町まで10代8女帝が生まれたが,いずれも中継ぎ的色彩が濃く,やはり皇男子の継承が本則であったとすべきであろう。平安・鎌倉時代には,いったん臣籍に降下したのち,さらに皇籍に復した例が数例あり,そのうち光孝の皇子定省(宇多)は皇位にのぼったが,やはり変則であろう。

上古の皇位継承は,天皇が没することによって行われたが,645年(大化1)皇極が孝徳に皇位を譲って譲位の例を開いてからは,明治まで87代中(北朝天皇を除く)56代の天皇が譲位によって皇位を継いだ。天皇譲位の場合には,皇嗣が禅(ゆずり)を受けて直ちに践祚(せんそ)するのを常例としたが,天皇が没した場合には,没時と践祚との間に時日を要した例も多く,ことに上古においては数年月を経ることもあった。また鎌倉時代以後は,皇嗣の選定について朝廷と幕府の間の交渉に日時を要した場合も数例ある。なお斉明の皇太子中大兄(天智天皇),天武の皇后鸕野讃良(持統天皇)は,天皇没後,皇位につかずに数年にわたり執政したが,これを〈称制(しようせい)〉といった。81代安徳が平氏に擁されて西海に幸した後,京都において後鳥羽が践祚し,1年余にわたって2人の天皇が存立し,また96代後醍醐の譲位否認のもとで光厳が践祚し,爾後50余年にわたって南北両朝が併存対立した。また天皇がいったん譲位したのち,再び皇位についたことが2度あり,これを重祚(ちようそ)という。35代皇極が重祚して37代斉明となり,46代孝謙が重祚して48代称徳となったのがそれで,ともに女帝にして,特殊な政情によるものである。
天皇
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「皇位継承」の意味・わかりやすい解説

皇位継承
こういけいしょう

皇嗣(こうし)(皇位継承の第一順位にあるもの)が皇位につくこと。皇位継承の原因(天皇が崩じたときで、生前の退位はない)が発生すると、その瞬間に皇嗣が天皇の地位を取得する(皇室典範4条)。天皇の地位は世襲で、皇室典範の定めにより継承される(憲法2条)。その定めは次のとおりである。皇位継承の資格は、皇統に属する男系の男子に限られ(皇室典範1条)、その順序は、長子継承の順序に従い、皇長子、皇長孫、その他の皇長子の子孫、皇次子およびその子孫、その他の皇子孫、皇兄弟およびその子孫、皇伯叔父(はくしゅくふ)およびその子孫となる。これらの皇族がないときは、皇位は、それ以上で、最近親の系統の皇族に伝えられる(同2条)。皇嗣に、精神もしくは身体の不治の重患があり、または重大な事故のあるときは、皇室会議の議により、前述の順序に従って、皇位継承の順序を変えることができる(同3条)。皇統に属する男系の男子であっても、皇族の身分をもたない者は、皇位継承の資格はない。庶子は皇族の身分も取得できない(同6条)から、皇位継承の資格はない。

[池田政章]

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知恵蔵 「皇位継承」の解説

皇位継承

皇室典範では、皇位継承者は「皇統に属する男系の男子」と定められ、女子に継承権はない。現在の継承順位は、(1)皇太子、(2)秋篠宮、(3)同悠仁(ひさひと)親王、(4)常陸宮、(5)三笠宮崇仁親王、(6)同寛仁親王、(7)桂宮。皇室では9人女児誕生が続き、秋篠宮誕生以来41年間、男子が生まれていなかったため、典範を改正して女性や母方にだけ天皇の血筋を引く女系の天皇も認めるべきだとの議論が起きた。欧州の王室では英国、オランダ、デンマークが女王で、スウェーデン、ノルウェー、ベルギーでは男女にかかわりなく長子が王位を継ぐ法改正を行った。日本でも過去には8人10代の女帝があり、男子継承に限定したのは明治時代の旧皇室典範から。しかし、歴代女帝はいずれも男系の女子であり、男系男子への中継ぎ的役割にとどまり、男系主義が崩れたことは一度もない。また改正に伴い、多くの難問が出てくる。(1)現存の男子継承資格者との順位づけを男女平等とするのか、男子優先を残すのか、(2)女性天皇の配偶者の扱いをどうするのか、(3)結婚した女子も新宮家を起こし、皇族は大幅に増え続ける、など。小泉首相は2004年12月、私的諮問機関として「皇室典範に関する有識者会議」(吉川弘之座長ら10人)を設置し、同会議は05年11月24日、皇位継承順位を男女にかかわらず長子を優先し、皇族の範囲は女性も含めて結婚後も皇室に残る永世皇族制とする報告書をまとめ提出した。しかし秋篠宮妃紀子さまの懐妊が明らかとなり、法案の国会提出は見送られた。ただ天皇の孫の世代の男子は悠仁親王1人だけなので、典範論議が再燃する可能性もある。

(岩井克己 朝日新聞記者 / 2008年)

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世界大百科事典(旧版)内の皇位継承の言及

【皇室典範】より

… 王位継承については,憲法みずからが具体的に定めるベルギー,オランダなどの型と,憲法は基本原則のみを定め詳細を〈王位継承法〉などにまかせるスウェーデン,デンマークなどの型とがあるが,日本は後者の類型に属する。現行法は,皇位継承資格・順位,摂政となる資格・順位,天皇・皇族の身分・特典,皇室会議などについて定めているが,旧法にあった元号制定,神器の継承,大嘗祭に関する規定は存在しない。ただし,女帝の否定(皇室典範1条)や生前退位の否定(4条)のように,法の下の平等や基本的人権の尊重を定めた憲法上疑問のある規定も含まれている。…

【譲位】より

…禅(ゆずり)を受けて皇位につくことを含める場合も多く,譲国ともいう。日本における皇位継承は,上古は天皇が没すると行われるのを常例としたが,645年大化改新に際し,皇極天皇が孝徳天皇に皇位を譲ってから,しだいに譲位が慣例化し,明治天皇まで87代中,56代の天皇が譲位受禅によって皇位についた(ほかに北朝に2例ある)。一方,平安時代の初めから皇位継承と即位の儀礼が分離し,清和天皇のとき制定された《貞観儀式》では,譲国儀と天皇即位儀が別個に規定された。…

【相続】より

…(1)地位の継承は時期により,また階層により異なった様相を見せている。まず奈良時代には,天皇の地位は嫡系継承(嫡子から嫡孫へ)が目指され,そのために間に何人かの中継ぎの女帝を挟みつつ,天武天皇の嫡系の子孫が奈良後期まで続く(皇位継承)。官人層については,継嗣令に明確に嫡系継承が規定されているが,それはもっぱら位階継承(蔭位(おんい))のためであって,中国流の祭祀相続・家長権を伴った実体としての〈〉の継承を意味するものではない。…

【天皇】より

…もちろんその根源も,前天皇としての権威に帰着するわけで,現天皇を東宮,上皇を事実上の天皇とみなす見解も行われたが,一面では上皇の専制君主化は,しばしば上皇を政争の当事者とし,ついには遠島配流の悲劇を招いて,皇位の超責任性すら危うくするに至った。また院政のもとで皇位継承が恣意的に行われ,上皇が続出すると,天皇と複数の上皇のうち,だれが〈治天の君〉となるかが問題となった。ことに持明院,大覚寺両皇統の対立が皇位の継承を複雑にすると,皇位と治天の君が分離し,それぞれ別個に定められ,継承される事態を招いた。…

【不改常典】より

…天智天皇の定めたという皇位継承にかかわる法のこと。〈改(かわ)るまじき常の典(のり)〉と読む。…

※「皇位継承」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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