直方市(読み)ノオガタシ

デジタル大辞泉 「直方市」の意味・読み・例文・類語

のおがた‐し〔なほがた‐〕【直方市】

直方

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「直方市」の解説

直方市
のおがたし

面積:六一・七八平方キロ(境界未定)

県の北部、直方平野の中央に位置する。東は北九州市小倉南区、南は鞍手くらて小竹こたけ町・嘉穂かほ頴田かいた町・田川郡赤池あかいけ町、西は鞍手郡鞍手町・宮田みやた町、北は北九州市八幡西やはたにし区に接する。中央部を遠賀おんが川・彦山川・犬鳴いぬなき川が南から北へ貫流し、遠賀川支流の近津ちかづ川、彦山川支流の福地ふくち川がそれぞれ東から合流して低地を形成している。東部は福智ふくち山を主峰とする福智連山が南北に連なり、西部にはむつヶ岳の丘陵が広がっている。市街地は遠賀川とJR筑豊本線に挟まれた地域にあり、東部・西部には住宅地が広がり、南部は工業地帯となっている。北部には九州縦貫自動車道と山陽新幹線が通っている。

〔原始・古代〕

当市域の考古遺跡は鞍手郡を参照。律令制下は「和名抄」にみえる鞍手郡粥田かいた(伊勢本・東急本・元和古活字本では「かつた」と読む)に所属していた。貞観一五年(八七三)四月五日に従五位下から従五位上、元慶六年(八八二)一〇月九日に正五位下の神階を授けられた筑前国「鳥野神」は(三代実録)、現頓野とんのに所在する鳥野とりの神社のことともいわれる。また現植木うえきに所在する観音堂には延久二年(一〇七〇)二月一七日の紀年を有する石柱梵字曼荼羅碑(県指定文化財)がある。ほかにも金石文史料として福智山西中腹にあたる鷹取たかとり山山麓の永満寺えいまんじから、天永元年(一一一〇)・永久元年(一一一三)・同三年銘の経筒、また銘文は欠くが上新入かみしんにゆうからは滑石製経筒(県指定文化財)が発見され、永満寺出土の経筒銘によると、永満寺の宅間たくま(託摩)は豊前国田川郡内であった。なお「兵範記」保元二年(一一五七)三月二九日条によれば、植木庄は保元の乱で敗死した「故左大臣」(藤原頼長)の所領であった。

〔中世〕

平安時代後期から鎌倉時代初めにかけて市域には前述の植木庄のほかに感田がんだ庄、粥田庄のうちさかい郷・新入郷および頓野郷が存在した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「直方市」の意味・わかりやすい解説

直方〔市〕
のおがた

福岡県北部,直方平野の中部にある市。北九州市の南に接する。 1931年市制。 55年植木町を編入。中心市街地は古くは東蓮寺の門前町。寛永3 (1626) 年福岡藩の支藩がおかれたが,享保5 (1720) 年藩主の本家相続のため廃藩。のち遠賀川水運の物資集散地となり,明治中期から炭鉱町および筑豊炭の鉄道輸送基地として発展し,炭鉱機械工業や商業も発達した。しかし,55年頃からの石炭不況で閉山が相次ぎ,それに代って中泉,明神池,永満寺の各工業団地が造成されて電機,金属などの工場が進出。従来の炭鉱機械工業も一般機械などに転換し,現在は内陸工業地域となっている。北九州市方面への通勤者も多い。東部の福智山 (901m) を中心とする地域は北九州国定公園に属する。 JR筑豊本線,平成筑豊鉄道,筑豊電鉄,国道 200号線が通じる。面積 61.76km2(境界未定)。人口 5万6212(2020)。

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