本朝通鑑(読み)ホンチョウツガン

デジタル大辞泉 「本朝通鑑」の意味・読み・例文・類語

ほんちょうつがん〔ホンテウツガン〕【本朝通鑑】

江戸前期の歴史書。310巻(正編40巻・続編230巻・前編3巻・提要など37巻)。林羅山とその子鵝峰ら編。寛文10年(1670)成立神代から慶長16年(1611)までの歴史を漢文編年体で記したもの。

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精選版 日本国語大辞典 「本朝通鑑」の意味・読み・例文・類語

ほんちょうつがん ホンテウ‥【本朝通鑑】

江戸前期の史書。三一〇巻。正編四〇巻は林道春(羅山)、前編三巻と続編二三〇巻は林道勝(鵞峰)の編。徳川幕府の命になる修史事業の成果で、寛文一〇年(一六七〇)成立。神代から慶長一六年(一六一一)までの歴史を漢文編年体で記す。

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改訂新版 世界大百科事典 「本朝通鑑」の意味・わかりやすい解説

本朝通鑑 (ほんちょうつがん)

神代から1611年(慶長16)に至る間の漢文による編年体の史書。林羅山・林鵞峰著。310巻。前編(神代)3巻,正編(神武~宇多)40巻,続編(醍醐~後陽成)230巻,提要30巻,付録(神祇,皇運,朝職(上下),武職)5巻,目録1巻,引用書目1巻。1670年(寛文10)完成。本書ははじめ羅山が徳川家光の命で1644年(正保1)から通史編修に当たり,50年(慶安3)に神武朝から宇多朝までを完成して《本朝編年録》の書名で幕府に提出したが,明暦の大火で焼失した。62年修史継続の命が徳川家綱から羅山の子鵞峰に下り,64年から忍岡林邸内の国史館で作業が開始され,《本朝編年録》の稿本を復元校勘して正編とし,続編を林梅洞,林鳳岡,人見友元,坂井伯元らが分担起草し,鵞峰が統轄して完成し幕府に献上した。中国の《資治通鑑(しじつがん)》を模範にし,《通鑑綱目》を参考とし,事実を直叙して後代の鑑戒とすることを目ざした。幕府の援助もあって豊富な史料に基づき,史実の考証,異説の併載や俗伝,異聞の紹介もある。一般的に儒教的合理主義の立場で述べられ,いわゆる林家史学の代表とされ,これに異論をもつ水戸藩の《大日本史》などの編修を呼び起こした。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「本朝通鑑」の意味・わかりやすい解説

本朝通鑑
ほんちょうつがん

江戸前期の幕府編修の歴史書。神代から後陽成(ごようぜい)天皇に至るまでの日本の通史。中国の『資治通鑑(しじつがん)』の名称と記述法に倣ったもの。正編(初名は『本朝編年録』)は林羅山(らざん)が3代将軍徳川家光(いえみつ)の命により編修、神武(じんむ)天皇から宇多(うだ)天皇までで40巻。続編は林鵞峰(がほう)が4代家綱(いえつな)の命により1670年(寛文10)に完成、醍醐(だいご)天皇から後陽成天皇に至るまでで230巻。ほかに首2巻、前編3巻、提要30巻、付録5巻、総計310巻。編修用の建物が「国史館」で、日記が『国史館日録』。天皇一代ごとの編年体で、事実をありのままに記述し勧善懲悪の効果を期待している。記事の出典を記さない点で『大日本史』に劣るが、今日失われている多数の文書記録を含んでいる貴重な史書。本書にわが皇室始祖を呉(ご)の太伯とした記述があったとする説(安藤為章(ためあきら)『年山紀聞(ねんざんきぶん)』)は誤伝。国書刊行会本18冊(1918~20)。

[宮崎道生]

『花見朔巳著『本朝通鑑考』(『本邦史学史論叢 下巻』所収・1939・冨山房)』『坂本太郎著『日本の修史と史学』(1958・至文堂)』『小沢栄一著『近世史学思想史研究』(1974・吉川弘文館)』


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百科事典マイペディア 「本朝通鑑」の意味・わかりやすい解説

本朝通鑑【ほんちょうつがん】

江戸幕府編纂(へんさん)の漢文・編年体の史書。310巻。初め林羅山が神武〜宇多天皇の時期を《本朝編年録》として編纂。これを正編とし,羅山の没後,子の林鵞峯が業をつぎ神代を記述した前編と,醍醐〜後陽成天皇の時期を記した続編を編纂,1670年完成。儒教的合理主義の立場から叙述され,これに異論のある《大日本史》などの編纂を呼び起こした。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「本朝通鑑」の解説

本朝通鑑
ほんちょうつがん

林鵞峰(がほう)が幕府の命で編纂した編年体の日本史の通史。1670年(寛文10)成立。前編神代紀3巻・正編40巻(神武紀~宇多紀)・続編230巻(醍醐紀~後陽成紀)・提要30巻・付録5巻・凡例ならびに引用書目2巻からなる。鵞峰が編纂所である忍岡の国史館に門人を集め,父羅山(らざん)の「本朝編年録」の草稿に修正を加えつつ書き継いだもので,編年の書法を朱子「通鑑綱目」に,叙事の体を司馬光「資治通鑑」にならう。実証主義的な歴史叙述をめざした林家の史学の特徴を示すが,史料の博捜や史料批判に不備がある。「大日本史」「読史余論」などの歴史書に大きな影響を与えた。国書刊行会刊。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「本朝通鑑」の意味・わかりやすい解説

本朝通鑑
ほんちょうつがん

神代から慶長 16 (1611) 年までの漢文の編年史。 273巻。正編 40巻,続編 230巻,前編3巻。林羅山とその子林鵞峰が編纂。寛文 10 (70) 年完成。羅山が寛永 21 (44) 年江戸幕府の命を受けて編纂した『本朝編年録』のあとをうけて,鵞峰が中心になって完成した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「本朝通鑑」の解説

本朝通鑑
ほんちょうつがん

江戸前期,幕命で編修された歴史書
3代将軍徳川家光の命により林羅山が編修し献じた『本朝編年録』を,子の鵞峯 (がほう) が拡充追加し,1670年4代将軍家綱に献じた。310巻。宋の司馬光の『資治通鑑 (しじつがん) 』にならった漢文・編年体で,神代から17世紀初めの後陽成天皇までを記述。独断を避け厳密な考証につとめ,儒学の実証的合理主義による歴史書の先駆をなす。

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