真田幸隆(読み)さなだ・ゆきたか

朝日日本歴史人物事典 「真田幸隆」の解説

真田幸隆

没年:天正2.5.19(1574.6.8)
生年永正10(1513)
戦国時代の武将。信濃国(長野県)海野の海野棟綱の子。はじめ海野小太郎。同国真田郷に拠り真田弾正忠,一徳斎と号した。天文10(1541)年海野平の戦で村上義清に敗れ,上野国長野氏のもとに逃れたが,同13年武田信玄に属し信州先方衆として活躍。同20年,宿敵義清戸石城に破り本領真田郷を回復,上田諏訪形・横田などに1000貫文を与えられている。永禄6(1563)年上野国岩櫃城,同8年岳山城を攻略し信玄の上野国攻略を進めた。元亀3(1572)年同国白井城を攻略したが,天正2(1574)年62歳で病没

(唐澤定市)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「真田幸隆」の解説

真田幸隆 さなだ-ゆきたか

1513-1574 戦国-織豊時代の武将。
永正(えいしょう)10年生まれ。真田昌幸(まさゆき)の父。信濃(しなの)(長野県)海野(うんの)から真田郷に移住し,海野姓から真田姓にあらためる。天文(てんぶん)13年武田信玄につかえ,村上義清や越後(えちご)(新潟県)の上杉謙信とたたかう。のち上野(こうずけ)(群馬県)に転戦,武田氏の勢力圏をひろげた。天正(てんしょう)2年5月19日死去。62歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の真田幸隆の言及

【真田氏】より

…1400年(応永7)の大塔合戦で戦った者の中に実田(さなだ)氏が見られる。戦国時代,真田幸隆は甲斐の武田信玄に属し,武田氏の信濃攻略に大きな役割を果たした。幸隆のあとは信綱が継ぎ,信玄,勝頼に仕えたが,1575年(天正3)の長篠の戦で弟昌輝とともに討死した。…

※「真田幸隆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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