眼鏡橋(長崎,長崎市)(読み)めがねばし

世界大百科事典(旧版)内の眼鏡橋(長崎,長崎市)の言及

【石工】より

…戦国時代から桃山時代にかけては城の石垣造営にその技術が重用され,穴生(あのう)(滋賀県)の石工は特に名高い。このほか眼鏡橋(長崎市,1634),通潤橋(熊本県上益城郡,1854)などの石造橋,閑谷(しずたに)学校石塀(備前市,1701)などの石塀,日光東照宮石鳥居(1618)や久能山東照宮廟所宝塔(静岡市,1617)などの宗教建築物,および各地に残る石畳道などはいずれも石工の高い技術をよく示している。江戸幕府の建設担当役所である作事方(さくじかた)では,大棟梁のもとに鍛冶・錺(かざり)などとともに石方を配し,その指揮者は石方棟梁と呼ばれ,建物の基礎,竈(かまど)やこたつの石などの作製を担当した。…

【石橋】より

…とくに著名な古代ローマ時代の石造アーチ橋は力学の理にかなったまことに堅牢なつくりで,現在でもヨーロッパ各地にそのいくつかが残っている。その後この技術は中世ヨーロッパに継承されたほか,早くから中国に伝えられ,やがて日本にも伝来して,長崎の眼鏡橋(1634完成)をはじめ多くの石造アーチ橋が九州各地につくられた。琉球にはそれ以前にも中国風の石造アーチ橋があったという。…

【長崎[市]】より

…また,中国福建省出身の人たちが建立した唐寺崇福(そうふく)寺には,国宝の大雄宝殿と第一峰門がある。1634年(寛永11)興福寺住職の如定(によじよう)禅師が中島川に架けた眼鏡(めがね)橋(重要文化財)は,日本最古の石橋であるが,1982年7月に長崎を襲った集中豪雨により一部破損した。ほかに国の史跡として江戸時代オランダ人居留地であった出島のオランダ商館跡,日本の青年たちに医学を講じたシーボルト宅跡がある。…

【橋】より

…もっとも古い記録は,当時独立国であった琉球に1451年建設された長虹堤に含まれる大小七つのアーチ橋である。九州では明の帰化僧如定による長崎の眼鏡橋(1634)を最初として多数の石造アーチ橋がつくられ,なかでも諫早の眼鏡橋,鹿児島の甲突(こうつき)五橋,熊本の通潤橋が名高いが,熊本以南のものは肥後の石工たちが独自のくふうで発展させた秘伝によるという。 日本近代橋梁の歩みは明治の文明開化とともに始まった。…

※「眼鏡橋(長崎,長崎市)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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