石川町(読み)いしかわまち

日本歴史地名大系 「石川町」の解説

石川町
いしかわまち

面積:一一五・七五平方キロ

石川郡の中央部から西部に位置し、北は玉川たまかわ村・平田ひらた村、東は東白川郡古殿ふるどの町、南は浅川あさかわ町・東白川郡鮫川さめがわ村・西白河郡ひがし村、西は同郡矢吹やぶき町・中島なかじま村。町域西端の西白河郡境を北東流する阿武隈川の沿岸部に段丘平地がみられるほかはすべて阿武隈高地の山地で、一部は高原状の丘陵となっている。玉川・平田両村境から町域内を南西流する北須きたす川は、町域西部を北流するやしろ川に合流し、同川は町域北西端で阿武隈川に合流する。町域南東端に発した飛鳥あすか川は今出いまで川に合流し、同川は西流して北須川に合流するが、合流点付近一帯に石川市街が形成されている。中・西部を南北にJR水郡線と国道一一八号が走り、前者には石川市街南西端の磐城石川駅と野木沢のぎさわ駅がある。後者から分岐して今出川・飛鳥川沿いを遡上する主要地方道いわき―石川線は、近世の御斎所ごさいしよ街道にあたる。

町域は古代以降白河郡の所属とされ、「和名抄」にみえる同郡石川郷の郷域に比定される。

石川町
いしかわまち

[現在地名]大津市長等ながら一―二丁目

ふだつじの西にある北国海道の両側町。石川町組一二町の東端に位置する。西の小川こがわ町にかけて長寿ちようじゆ寺・伝光でんこう院など六寺院が並ぶ。天正一四年(一五八六)頃の大津築城に伴い坂本から移されたとされるが、「大津珍重記」では慶長五年(一六〇〇)以後とする。町は大津城の推定域の外堀南側に相当し、町内伝光院の門扉に鉄砲穴が数ヵ所あり、大津城大手の惣門であったという(同書)。天和二年(一六八二)の本堂奉加帳(九品寺文書)に町名がみえ、元禄八年町絵図では家数合せて四三、これには町之家(番屋)二ヵ所・町会所一ヵ所が含まれる。

石川町
いしかわちよう

昭和四年(一九二九)一〇月から現在の室蘭市の町名。市域陸地部の北西端に位置し、西は海に面する。町名は当地を開拓した仙台藩の石川邦光にちなむ。もとは室蘭市大字千舞鼈村ちまいべつむらの一部で、ベトトル、奥千舞鼈おくちまいべつ干潟泊ひがたどまり、コンプリカイ、幡守山はたもりやま、ヒカタ、ポンヘトトルの字名があり、昭和四年一〇月に室蘭市石川町となった(「大字廃止町名及之に伴う区域設定の件」昭和一六年室蘭市史)。同四二年の住居表示審議の際、建物が少なかったことから住居表示は行わず将来の発展に合せて整理することにした。

石川町
いしかわちよう

[現在地名]前橋市大手町おおてまち一―二丁目・紅雲町こううんちよう一―二丁目・表町おもてちよう一丁目

旧城内の南側にあり、武家居住区の外柿そとかきみや石川いしかわ小路を明治七年(一八七四)改称した。北西端の柿宮かきのみや門を経て旧城内南曲輪みなみくるわ町に続き、東は町・堀川ほりかわ町、南は紅雲分こううんぶん村、西は利根川である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石川町」の意味・わかりやすい解説

石川〔町〕
いしかわ

福島県南部,阿武隈高地にある町。 1894年町制。 1955年沢田,山橋,中谷 (なかたに) ,母畑 (ぼばた) ,野木沢 (のぎさわ) の5村と合体室町時代は石川氏の城下町,そののち市場町として発展。かつては春の馬市で有名。県南部地方の行政の中心で商業も盛ん。リンゴ栽培が行われる。かつては石川山で陶磁器原料のケイ石長石採掘が行われていた。母畑温泉,猫啼 (ねこなき) 温泉などがある。近くに千五沢 (せんござわ) ダム (母畑ダム) があり,JR水郡線と国道 118号線が通る。面積 115.71km2人口 1万4644(2020)。

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