20世紀日本人名事典 「石川 淳」の解説
石川 淳
イシカワ ジュン
昭和期の小説家
- 生年
- 明治32(1899)年3月7日
- 没年
- 昭和62(1987)年12月29日
- 出生地
- 東京市浅草区三好町(現・東京都台東区)
- 旧姓(旧名)
- 斯波
- 別名
- 号=夷斎
- 学歴〔年〕
- 東京外国語専門学校仏語科〔大正9年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 芥川賞(第4回)〔昭和11年〕「普賢」,芸術選奨文部大臣賞(第7回・文学・評論部門)〔昭和31年〕「紫苑物語」,日本芸術院賞(第17回・文芸部門)〔昭和35年〕,読売文学賞(第32回・評論・伝記賞)〔昭和55年〕「江戸文学掌記」,朝日賞〔昭和57年〕
- 経歴
- 東京・浅草に東京市議や共同銀行取締役などを務めた名士・斯波厚の二男として生まれる。幼い頃から漢学者である祖父・石川省斎の家で育ち、15歳の時に同家の養子となり石川姓を継ぐ。大正11年同人雑誌「現代文学」に参加して習作やフランス文学評論を発表。12年アナトール・フランスの「赤い百合」を翻訳刊行し、以後もアンドレ・ジードなどの作品を多く翻訳する。13年福岡高校に講師として勤務するが、学生運動にかかわったとされ、2年間で退職。以後、放浪的な生活を送る。昭和10年処女作「佳人」を発表し、11年「普賢」で芥川賞を受賞して文壇に登場。12年厭戦小説「マルスの歌」を発表するが、発禁処分を受け、戦争中は江戸文学研究に“韜晦”した。戦後、「黄金伝説」「焼跡のイエス」「処女懐胎」など混乱した社会を舞台とした作品を次々に発表、太宰治、坂口安吾らとともに“無頼派”“新戯作派”と呼ばれた。その後も和漢洋にまたがる該博な知識と反権力の精神を基礎に、奔放自在な想像力を発揮した作品を数多く残した。また森鷗外についての考証や、「歌仙」「酔どれ歌仙」など連歌復活の試みでも知られる。他の主な作品に小説「鷹」「紫苑物語」「白頭吟」「至福千年」「天馬賦」「狂風記」、評論・随筆「森鷗外」「文学大概」「諸国畸人伝」「江戸文学掌記」「夷斎俚言」「夷斎風雅」などがあり、「石川淳全集」(全19巻 筑摩書房)もある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報