石田 新太郎(読み)イシダ シンタロウ

20世紀日本人名事典 「石田 新太郎」の解説

石田 新太郎
イシダ シンタロウ

明治・大正期の教育家 慶応義塾理事。



生年
明治3年(1870年)

没年
昭和2(1927)年1月27日

出身地
福島県

学歴〔年〕
慶応義塾大学文学部〔明治26年〕卒

経歴
明治26年広島陸軍幼年学校教官となり、ついで台湾総督府国語学校教頭を務める。この間、欧米視察し植民地教育を研究、帰国後女子大学講師を経て、41年母校・慶応義塾の幹事となる。44年朝鮮総督府視学官に転じ朝鮮教育令制定に従事する。45年再び慶応義塾幹事となり、のち理事に就任、同大学の経営と、大正4年の医学科創設に尽力した。また日本成人教育協会を組織し、日本の成人教育の創始者として貢献した。著書に「環境と教育」「成人教育施設案内」「新時代の青年」「モンロー世界教育史」「私の英国発見」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android