朝日日本歴史人物事典 「神山郡廉」の解説
神山郡廉
生年:文政12.1(1829)
幕末の土佐(高知)藩士,明治期の官僚,政治家。高知城下中島町生まれ。通称左多衛。文武に優れ,文久年(1861~64)中参政吉田東洋に抜擢され郡奉行,大目付を歴任。慶応2(1866)年,幕府の征長催促を拒絶する役目を果たした。3年10月,山内容堂(豊信)の大政奉還建白に後藤象二郎,福岡孝弟,寺村左膳らと連署した。維新政府の参与に任じられてより行政官弁事,議政官上局参与,刑法官副知事を歴任,廃藩置県後は長浜(滋賀)県,島根県の権令,和歌山県令を経て元老院議官,高等法院陪席判事を務め,20年男爵。23年貴族院議員に勅選され没年に至った。
(福地惇)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報