神川 マツ子(読み)カミカワ マツコ

20世紀日本人名事典 「神川 マツ子」の解説

神川 マツ子
カミカワ マツコ

明治〜昭和期の社会運動家,翻訳家



生年
明治18(1885)年4月28日

没年
昭和11(1936)年10月27日

出生地
広島県広島市大須賀町

本名
西川 マツ(ニシカワ マツ)

旧姓(旧名)
神川 マツ(カミカワ マツ)

学歴〔年〕
広島女子校卒,日本女子大学校中退,青山女学院英文科

経歴
広島女子校、日本女子大学校を経て、青山女学院で英語、ロシア語を学び、二葉亭四迷に師事。在学中、平民社に出入りして、幸徳秋水堺利彦らと交流し、社会主義婦人講習会などで演説を行う。明治38年平民社婦人部の一員として治安警察法の女子の政社加入・政治集会禁止条項の改正請願の署名運動を行う。平民社解散後、幸徳らの金曜演説会に参加。福田英子主宰の「世界婦人」に多数寄稿。41年6月赤旗事件で検挙され8月無罪で釈放されるが、拘留中に拷問を受ける。出獄後はいったん帰郷するが再上京、柏木に住み社会主義者との交流を続ける。42年6月台湾に渡り、兄の友人・西川末三と結婚して帰国。以後は社会主義運動から離れ、ロシア文学研究に打ち込み、「婦人公論」「女王」などに評論や翻訳を執筆。大正9年夫が測機舎を設立すると、これを助け奔走した。著書に「測機舎を語る」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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