かんだ‐まつり【神田祭】
[1] 〘名〙 東京都千代田区外神田にある
神田神社の祭礼。毎年五月一五日(もと九月一五日)に、本祭、陰祭とを
隔年に行なう。
山王祭とともに
江戸の祭りの代表とされ、
山車(だし)の豪華なことで有名。神田神社祭例。
神田明神祭。《季・夏‐秋》
※俳諧・猿蓑(1691)三「さればこそひなの
拍子のあなる哉 神田祭の鼓うつ音〈蚊足〉」
[2]
[二] 長唄。幸堂得知作詞。三世杵屋六四郎、四世吉住小三郎作曲。神田祭の
前夜から当日の賑いを描写した曲。
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デジタル大辞泉
「神田祭」の意味・読み・例文・類語
かんだ‐まつり【神田祭】
神田神社の祭礼。もと9月15日に行われたが、現在は5月15日。江戸二大祭りの一つで、日枝神社の山王祭とともに天下祭りといわれる。本祭りと陰祭りが隔年に行われる。《季 夏》「打ち晴れし―の夜空かな/虚子」→深川祭
㋐歌舞伎舞踊。清元。本名題「〆能色相図」。三升屋二三治作詞、2世清元斎兵衛作曲。天保10年(1839)江戸河原崎座初演。神田祭の情景を舞踊化したもの。
㋑長唄。幸堂得知作詞、3世杵屋六四郎・4世吉住小三郎作曲。明治44年(1911)発表。
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神田祭
かんだまつり
東京都千代田区外神田に鎮座する神田神社の例祭。江戸時代には永田町の日枝神社で行なわれる山王祭とともに,神幸行列が江戸城内に入り将軍の上覧を受ける天下祭であった。山王祭と交互に隔年で西暦奇数年(丑,卯,巳,未,酉,亥の年)が大祭となり,鳳輦(ほうれん)が神田から日本橋,丸の内と巡行する神幸(→神幸祭)が行なわれる。本来は秋祭りで,旧暦 9月15日の祭りであったが,1892年以降 5月15日となり,今日では 5月15日が平日の場合は例祭の神事のみ行ない,神幸はその前後の日曜日に行なわれている。江戸時代後期には,神幸行列として,氏子各町が出す 36基の山車やそれに伴う附祭(つけまつり)と呼ばれるさまざまに趣向を凝らした出し物と,御雇祭(おやといまつり)と呼ばれる幕府の命を受けた氏子以外の町内による出し物が多数出ていたが,附祭は 1887年に姿を消し,山車も電線架設や関東大震災などの影響により失われ,神田松枝町会の「羽衣」人形の山車を除いて各町内とも神輿を出すように変わった。附祭は 2007年から神田祭附祭復元プロジェクトが発足し,復活が試みられている。
神田祭
かんだまつり
日本音楽の曲名。 (1) 清元節の曲名。本名題『〆能色相図 (しめろやれいろのかけごえ) 』。三升屋二三治作詞,2世清元斎兵衛作曲。天保 10 (1839) 年江戸河原崎座で初演。江戸神田明神の祭礼に男女の手古舞を登場させて庶民風俗を描いた曲。 (2) 長唄の曲名。幸堂得知作詞。4世吉住小三郎・3世杵屋六四郎合作。 1911年研精会 100回記念として初演された。
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神田祭 (かんだまつり)
東京都千代田区に鎮座する神田神社の5月15日を中心とする祭り。江戸時代より山王日枝神社の山王祭とともにその豪華さをもって〈天下祭〉と呼ばれた。また徳川将軍家の上覧があることから〈御用祭〉とも称せられた。もとは9月15日を中心に行われ,毎年同じように執行されたが,1681年(天和1)以降山王社と隔年で行うようになり,以後一時変動があったものの,丑・卯・巳・未・酉・亥年に大祭を行い,その他の年は蔭祭といった。さらに88年(元禄1)からは,神輿(みこし)が江戸城内に入り大変にぎわった。氏子各町内からは山車・屋台踊・太神楽などが数多く出て,その趣向がつねに江戸の話題になったという。9月14日が宵祭(よいまつり)で,15日が本祭であったが,しだいに一日に巡幸することが不可能になり延長された。1890-91年のコレラ流行以降,祭日を現在の5月に改めた。この祭りの様式は,関東各地の祭りに大きな影響を及ぼした。
執筆者:茂木 貞純
神田祭 (かんだまつり)
歌舞伎舞踊。清元。本名題《〆能色相図(しめろやれいろのかけごえ)》。1839年(天保10)9月江戸河原崎座で,沢村訥升(とつしよう)(5世宗十郎),尾上栄三郎(4世菊五郎),市川海老蔵(7世団十郎)らにより初演。作詞三升屋二三治。作曲初世清元斎兵衛。江戸の三大祭の一つである神田祭のにぎやかさ,威勢のよさを描いたもの。神田明神の御神酒所前で,鳶の者と芸者の手古舞が踊る。手踊,クドキ,投節,最後に木遣りで終わる。ほかに1911年10月,幸堂得知が長唄研精会のために作詞した長唄曲がある。
執筆者:菊池 明
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神田祭
かんだまつり
東京都千代田区にある神田神社の祭。山王祭とともに,徳川将軍が上覧したことから天下祭・御用祭ともいう。もとは9月15日に行われたが,現在は5月15日。1681年(天和元)氏子の負担を軽くする名目で幕府が介入し,山王祭と隔年で行われるようになった。祭を行わない年を,本祭に対して陰祭(かげまつり)という。祭では,社家が馬に乗って2基の神輿とともに行列の中心となり,各町からでた36基の山車(だし),雇(やとい)祭とよばれる歌舞の列とともに巡幸した。幕末には将軍の上覧がなくなり,盛時ほどではないが現在でも東京有数の祭。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
神田祭
(通称)
かんだまつり
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 元の外題
- 〆能色相図
- 初演
- 天保10.9(江戸・河原崎座)
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の神田祭の言及
【清元延寿太夫】より
…美音家で鳴らし,世に〈名人太兵衛〉といわれた。初演した語り物に《[お染]》《[落人]》《[神田祭]》など。三味線は初世斎兵衛,初世栄次郎が弾いた。…
【吉住小三郎】より
…63年,吉住慈恭(じきよう)と改名。作曲には《鳥羽の恋塚》《醍醐の花見》などが,六四郎との合作には《[紀文大尽](きぶんだいじん)》《神田祭》《お七》《みやこ風流》などがある。(5)5世(1908‐83∥明治41‐昭和58) 4世の子。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」