20世紀日本人名事典 「章 士釗」の解説
章 士釗
ショウ シショウ
Zhang Shi-zhao
07の政治家 元・中国人民政治協商会議代表;元・中国全国人民代表大会(全人代)代表;元・北京大学学長。
- 国籍
- 中国
- 生年
- 1881年
- 没年
- 1973年7月1日
- 出身地
- 湖南省長沙
- 別名
- 字=行厳,筆名=弧桐
- 経歴
- 清朝末の革命運動に章炳鱗、黄興らと参加し、激烈な廃満主義を主張する「蘇報」の主筆として活躍。清朝政府の弾圧を受け、1903年の蘇報事件後、日本を経て英国に留学。辛亥革命直後に帰国、北京大学学長となるがすぐに離職し、「民立報」主筆として宋教仁の国民党結成を支持した。’13年第二革命で敗北し、日本に亡命。亡命先の東京で雑誌「甲寅」を発行、袁世凱に反対し第三革命に参加。’19年南北和平会議に広東軍政府代表として出席。その後段祺瑞政府で司法総長、教育総長を務め、’25年の女師大事件、’26年の三一八事件の責任を問われた。抗日戦期には翼察政務委員会法制委員、国民大会代表などを歴任。’49年には南京政府代表として共和党と和平交渉を担当。以後北京に留まり、人民政治協商会議代表、全国人民代表大会(全人代)代表を務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報