竹内 栖鳳(読み)タケウチ セイホウ

20世紀日本人名事典の解説

竹内 栖鳳
タケウチ セイホウ

明治〜昭和期の日本画家



生年
元治1年11月22日(1864年)

没年
昭和17(1942)年8月23日

出身地
京都府京都市御池通油小路

本名
竹内 恒吉

別名
旧号=棲鳳

主な受賞名〔年〕
文化勲章(第1回)〔昭和12年〕

経歴
料亭・亀政の一人息子。幼い頃から絵に親しみ、幸野楳嶺門下生時代、棲鳳の号を受け、新古美術会、日本絵画協会などに出品。明治26年シカゴ万国博、30年ベニス万国博に出品。32年京都市美術学校教諭。33年パリ万国博出品を機にヨーロッパ遊学、コロー、ターナーら西欧画家の作品から示唆を得る。帰国後号も西洋の西をとり栖鳳に改めた。34年円山四条派の技法にセピア調の写生的技法を加えた「獅子」、35年オランダの風景を描いた「和蘭春光」や「伊太利秋色」、36年「羅馬古城址真景」などを発表、京都に新風を吹き込んだ。40年文展審査員となり、同年「雨霽」、42年「アレ夕立に」など名作を発表。一方、42年京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)開設とともに教授を務め、多くの後進を育てた。また画塾竹杖会を主宰した。帝展審査員にもなり、大正2年帝室技芸員、8年帝国美術院会員。土田麦遷らが結成した国画制作協会顧問も務める。昭和9年東本願寺大寝殿障壁画「風竹野雀」「老柳眠鷺」「善雀」を完成。12年第1回文化勲章受章。その後「斑猫」「夏鹿」など写生秀作、中国蘇州に取材した「城外風薫」や「潮来小暑」など名作がある。京都画壇近代化の祖として、西の栖鳳、東の大観と称された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典の解説

竹内 栖鳳 (たけうち せいほう)

生年月日:1864年11月22日
明治時代-昭和時代の日本画家。京都市立絵画専門学校教授
1942年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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