竹森 節堂(読み)タケモリ セツドウ

20世紀日本人名事典 「竹森 節堂」の解説

竹森 節堂
タケモリ セツドウ

昭和期の日本画家 青森県日本画家連盟代表。



生年
明治29(1896)年1月2日

没年
昭和45(1970)年2月2日

出生地
青森県弘前市

本名
竹森 規矩次郎(タケモリ キクジロウ)

主な受賞名〔年〕
青森県褒賞〔昭和41年〕,弘前市功労賞〔昭和43年〕,青森県文化賞〔昭和43年〕

経歴
父の美信は狩野派系の日本画家、また本家筋には著名な日本画家竹森華堂がいる。明治40年頃から狩野派の八戸鶴静に師事、次いで寺島泉岱に漢画を学んだ。大正8年彫刻家前田照雲に招かれて上京、東京美術学校助教授小泉勝爾に師事して画業を研鑽し、10年には若手美術家たちと白曜会を結成。昭和5年より蔦谷龍岬の許で大和絵を学び、龍岬主宰の東奥美術社では会の事務一般を任された。龍岬の死後に東奥美術社が解散すると12年には芸術院会員野田九浦の門下に移り、同年から18年まで連続して日本美術協会展に入選、また15年には同協会員になっている。19年帰郷、21年に青森県日本画家連盟を結成し、その代表に就任以後は弘前ねぷた絵を数多く手がけ、日本画の技法を取り入れたすぐれた色遣い構図でねぷた絵の芸術性を向上、後進たちに大きな影響を与えた。その画風は謹厳にして華やかで、美人画を得意とした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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