竹生島(読み)ちくぶしま

精選版 日本国語大辞典 「竹生島」の意味・読み・例文・類語

ちくぶ‐しま【竹生島】

[一] 滋賀県東浅井郡びわ町、琵琶湖の北部にある島。竹生島観音として知られる宝厳寺(ほうごんじ)があり、その弁天堂には日本三弁才天の一つがまつられる。また、竹生島明神として知られる都久夫須麻(つくぶすま)神社がある。深い緑につつまれて湖面にうつる島影は琵琶湖八景の一つ。面積〇・一四平方キロメートル。国史跡・名勝。
※拾遺(1005‐07頃か)秋・二〇三・詞書「ちくふしまにまうで侍ける時、もみぢのかげの水にうつりて侍ければ」
[二] 平曲。フシ物。平経正が竹生島で琵琶を奏すると、明神がそれに感応して、白龍となって姿を現わす。
[三] 謡曲。脇能物。各流。作者不詳。朝臣が琵琶湖畔で釣り船に乗ってきた老漁夫と若い女に会い、乗せてもらって竹生島に行く。二人は弁才天は女体だからこの島は女人禁制ではないことなどを語り、女は社殿に、漁夫は海中に消える。やがて弁才天・龍神が現われて、それぞれ天女の舞と舞働(まいばたらき)を舞う。
[四] 長唄。本調子。一一世杵屋六左衛門作曲。本名題「今様竹生島」。文久二年(一八六二)江戸中村座初演。歌詞は謡曲からとったもので、明神の神徳を述べる。「馬盥(ばだらい)の光秀」の本能寺の場で用いられた。ほかに一中節、常磐津節がある。
[五] 箏曲。山田流は一中節を編曲した掛合いと謡曲による唄い物の二曲がある。生田流の曲は地歌(菊岡検校作曲)の編曲で島の由来を語るもの。

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デジタル大辞泉 「竹生島」の意味・読み・例文・類語

ちくぶ‐しま【竹生島】

滋賀県北部、琵琶湖にある島。面積0.14平方キロメートル。竹・杉・松などで覆われ、名勝地。宝厳ほうごん都久夫須麻つくぶすま神社・弁天堂がある。
謡曲。脇能物醍醐天皇の臣下が竹生島に参詣すると、弁財天と竜神が現れて奇瑞きずいを見せる。
長唄。本名題「今様竹生島」。を下敷きにした歌詞に11世杵屋六左衛門が曲をつけたもの。一中節箏曲そうきょく常磐津ときわずにも同名の曲がある。

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日本歴史地名大系 「竹生島」の解説

竹生島
ちくぶしま

[現在地名]びわ町早崎

早崎はやざきの地先約五キロに浮ぶ面積〇・一四平方キロ、周囲約二キロの島。琵琶湖に浮ぶ島のなかではおきの(現近江八幡市)についで大きく、常緑樹に覆われた石英斑岩からなり、最高点の標高は一九七・四メートルで、北部に島がある。島岸はほぼ絶壁をなす。国指定の名勝・史跡で民家はない。智福島・都布夫島・筑扶島などとも記した。東岸べり、水深三〇メートルの湖底にある竹生島寺ちくぶしまでら遺跡からは弥生時代・古墳時代の土器が発見されている。島名は神を斎き祀る島が転訛したものとする説があり、古来、修験の行場として、また弁才天・観音を祀る神仏混淆の霊場として崇敬を集めた。南東部に唯一の船着場があり、正面一六九段の石段を上りつめた左手に日本三大弁天の一、宝厳ほうごん寺弁天堂、石段下部の右手に西国三十三所観音霊場第三〇番札所の観音堂があり、観音堂は東方に延びた渡廊下によって式内社都久夫須麻つくぶすま神社の本殿と結ばれている。また小島にもかつて社があり小島権現と称された。

〔開創伝承〕

「近江国風土記」逸文によれば夷服いぶき岳の多多美比古命が、姪にあたる浅井岳の浅井比命と高さを競い、負けた多多美比古命が浅井比命の首を落したところ、首が湖に落ちて竹生島ができたという。承平元年(九三一)の「竹生島縁起(諸寺縁起集)には、首が湖に沈むとき「都布都布」と音をたてたので「都布失島」の名がついたと記されている。また最初に生えたのが竹だったので竹生島と称するともある。縁起は天平一〇年(七三八)行基が草庵を結び、長さ二尺の四天王像を造立して小堂を構え、天平勝宝元年(七四九)には奈良元興がんごう寺僧泰平と奈良東大寺僧賢円が行基の聖跡で修行を行ったと伝える。当初は南都諸大寺僧侶の苦行修練の聖地として開かれたとみられるが、宮寺縁事抄(石清水文書)によれば延暦寺僧法勢が承和八年(八四一)に「筑夫島」に詣で、貞観二年(八六〇)には天台僧真静が渡島しており(前掲縁起)、以後はしだいに天台系修験の行場となっていったと考えられる。「古今著聞集」巻一六には齢七〇を超そうかという老僧が湖上を闊歩し、参詣に来た延暦寺僧を驚嘆させた逸話が載るが、現在でも島の北部にある霊窟とよばれる洞窟には注連縄が張られ、行者が修行を行っている。なお天保二年(一八三一)の堅田釣猟惣代一札(竹生島文書、以下断らない限り同文書)によれば「殺生禁制」の島とされており、「御島方八町之内」には釣船を入れること、風待ちのため湊に停泊することを慎み、風待ちで入津した際にも魚肉等を扱わないことを漁師仲間惣代の名で誓っている。

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改訂新版 世界大百科事典 「竹生島」の意味・わかりやすい解説

竹生島 (ちくぶしま)

日本の芸能,音楽の題名。(1)能 脇能物。神物。作者不明。シテは竜神。ある朝臣(ワキ)が竹生島参詣に出かけて琵琶湖畔に着くと,老人(前ジテ)が若い女(前ヅレ)を乗せた舟を操って来るので,同乗させてもらう。湖上の春景色に興じているうちに,舟は竹生島に着いた。朝臣がこの島は女人禁制と聞いているがと不審顔をするので,老人は,島に祭る弁財天も女体の神なのだからそれは知らぬ人の言葉だと教え,島の由来を物語った末,自分たちは実は人間ではないのだといって,女は社壇の中に消え,老人は波間に姿を消す(〈クセ〉)。朝臣が待っていると社殿がゆるぎ,弁財天(後ヅレ)が姿を現し,舞の袂(たもと)を翻す(〈天女ノ舞〉)。湖上には竜神(後ジテ)が現れ,光り輝く金銀珠玉を朝臣に捧げ,国土の安全を守っていることを告げて水中に立ち去る(〈早笛(はやふえ)・舞働キ・ノリ地〉)。

 前場は春の湖の叙景が中心,後場は天女,竜神の動きを見せるのが主眼。堅苦しくない軽い仕立ての脇能で,現実に珠玉を捧げるのも《高砂》などと違う点である。
執筆者:(2)地歌 二上り端歌物。菊岡検校作曲,八重崎検校箏手付。竹生島の縁起を歌ったもので,最初に大阪の四天王寺から竹生島にいたる道行がつく。作詞者は不明,東都某とのみ伝えられる。菊岡,八重崎のコンビによる作品には手事物が多いが,この曲は例外。

(3)山田流箏曲 奥歌曲。千代田検校作曲。能の詞章を縮約したもの。一中節の影響が強いが,(4)とはまったくの別曲。

(4)一中節 初世宇治倭文の1854年(安政1)の作曲。当初は5世山彦河良作曲の河東節と掛合で作られたが,その河東節のほうは絶え,山田検校門下きた女作曲といわれる箏歌と掛合で行われる。山田流箏曲としても,一中節掛合物として演奏されるが,その場合,一中節の部分を,必ずしも一中節の演奏者が分担するとは限らず,初世高橋栄清が箏の手を付けたものに基づいて,山田流の演奏家が分担するのが普通。能に基づき,部分的に詞章を補ったり省略したりしてある。

(5)長唄 本名題《今様竹生島》。11世杵屋(きねや)六左衛門作曲。1862年(文久2)8月江戸中村座《時握虎券(ときはいまやつこのうけじよう)》に用いられた。

(6)常磐津節 1897年竹柴其水作詞,5世岸沢古式部作曲。常磐津,岸沢両派の和解を暗示する詞章が含まれる。

 上記のほか,琵琶湖の竹生島に関する縁起譚ないし参詣道行を題材としたものは,同島に祭られている弁財天が芸能神であるため,非常に多い。平曲には《竹生島詣》があり,人形浄瑠璃源平布引滝》や狂言,歌舞伎にも採り入れられている。邦楽にはこの島名を曲名の通称,別称として用いる〈竹生島物〉が数多くある。やはり弁財天を祭る東の江の島(《江の島》)も同様で,〈弁天信仰物〉を成す。
執筆者:

竹生島 (ちくぶしま)

琵琶湖の北部,葛籠尾(つづらお)崎の南2kmにある島。滋賀県長浜市に属する。周囲2km,面積0.14km2の石英斑岩からなる小島で,全島が杉,松などの常緑樹でおおわれ,社寺以外に集落はなく,古来信仰の対象とされてきた。また琵琶湖八景の一つ〈深緑竹生島の沈影〉の景勝地で,島全体が国の名勝・史跡に指定されている。琵琶湖国定公園に含まれ,大津,今津,彦根,長浜などから観光船の便がある。
執筆者:

竹生島の生成には次のような話がある。昔,伊吹山に多多美彦(たたみひこ)命(夷服岳(いぶきのたけ)神),久恵(くえ)の峰に姉の比佐志姫(ひさしひめ)命,浅井の岡に姪の浅井姫命がいた。あるとき夷服岳と浅井の岡が背くらべをし,浅井の岡が一夜のうちに高くなったので,夷服岳神が立腹し浅井姫を切り殺してしまった。そのとき浅井姫の頭が琵琶湖にころがり落ちて島となったのが,竹生島だという。島内には浅井姫命をまつる都久夫須麻(つくぶすま)神社がある。中世以降,神仏習合により弁才天を本地仏とし,竹生島弁才天は江の島,厳(いつく)島の弁才天とともに日本三弁天の一つに数えられた。《平家物語》には,琵琶の名手として聞こえた平経正が竹生島に参詣し,戦勝を祈願して琵琶を弾じた話がみえる。弁天のゆかりにより,琵琶にまつわる説話は少なくない。神社に隣接する宝厳寺は現在,真言宗豊山派に属し,山号を巌金山という。伝えによれば,はじめ竹生島寺といい,行基を開基とした。のち元興(がんごう)寺の泰平,東大寺の賢円が来て,753年(天平勝宝5)千手観音をまつった。平安時代には延暦寺の僧が多数来島し,山門系の聖地となった。また都久夫須麻神社神宮寺として,その本地仏の弁天をまつった。1558年(永禄1)全島が火災にあったが,1602年(慶長7)豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行とし,島内の伽藍を復興した。このとき造営された本堂(弁天堂)は明治初年の神仏分離の際,都久夫須麻神社の本殿として引き渡され,宝厳寺としては1942年弁天堂を再建した。また観音堂は西国三十三所第30番の札所として有名である。観音堂は重要文化財,唐門は国宝。宝厳寺には《法華経序品》(国宝),《普賢十羅刹女図額》,《弥陀三尊来迎図額》(刺繡),石造五重塔,銅印(以上重要文化財)などがある。《法華経序品》は《竹生島経》と呼ばれ,平安後期の作で,地紙に金銀泥で花蝶を描き,《平家納経》との類似が認められる。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「竹生島」の意味・わかりやすい解説

竹生島【ちくぶしま】

琵琶湖北部に浮かぶ小島。面積0.14km2。樹林におおわれ,〈竹生島の沈影〉は琵琶湖八景の一つ。古来より信仰の島で,西国三十三所30番札所宝厳(ほうごん)寺(竹生島観音)や都久夫須麻(つくぶすま)神社(竹生島明神)があり,ともに桃山建築の遺構をもつ。宝厳寺に平安時代の装飾経《竹生島経》が伝わり,弁天堂は日本三弁天の一つ。
→関連項目海津不忍池菅浦長浜[市]びわ[町]琵琶湖国定公園和邇

竹生島【ちくぶしま】

(1)能の曲名。脇能物五流現行。作者は不明(一説に金春禅竹作とも)。琵琶湖の竹生島明神を訪れた醍醐帝の朝臣に弁財天と竜神が出現し,金銀珠玉を授ける。謡いやすい曲として親しまれている。(2)(1)に取材した邦楽曲の曲名。竹生島への参詣を主題にするものも含む。一中節・長唄・常磐津節・地歌・山田流箏曲など。一中節は河東節との掛合。長唄は本名題《今様竹生島》。常磐津節は岸沢との和解曲。地歌は菊岡検校作曲・八重崎検校箏手付の端歌物。上方舞の舞地にも使用。箏曲は千代田検校作曲のものと,一中・河東掛合物から移曲された箏歌・一中の掛合物がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竹生島」の意味・わかりやすい解説

竹生島
ちくぶしま

滋賀県琵琶湖北部にある石英斑岩の島。面積 0.14km2。最高点 197m。長浜市に属する。全島樹木に覆われ,周囲は絶壁をなす。桃山時代の文化財が多く,竹生島観音で知られる宝厳寺西国三十三所第 30番札所。弁天堂は厳島 (広島県) ,江の島 (神奈川県) と並ぶ日本三弁天の一つ。古くから歌にも詠まれ,仙境として信仰の対象になった。謡曲や狂言でも知られ,「深緑・竹生島の沈影」といわれる琵琶湖八景の一つ。島内全域が国の史跡・名勝に指定されており,宝厳寺の唐門および同寺所蔵の法華経序品,都久夫須麻神社本殿は国宝に指定されている。琵琶湖国定公園に属する。

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国指定史跡ガイド 「竹生島」の解説

ちくぶじま【竹生島】


滋賀県長浜市にある島。葛籠尾崎(つづらおざき)の南約2kmに位置し、全島が針葉樹で覆われて琵琶湖八景の一つに数えられている。1930年(昭和5)に国の名勝・史跡に指定された。島の周辺の水深は深く、西側付近が琵琶湖最深部(104.1m)で、葛籠尾崎との間から湖底遺跡が発見され、水深70mほどの湖底から多数の土器が引き揚げられた。これらの土器は時代幅が非常に大きく、古いものでは縄文時代早期~弥生時代、中世にまで及ぶと考えられている。このような遺跡は世界でも類がなく、沈積原因は今なお大きな謎に包まれている。湖底から引き揚げられた土器は、葛籠尾崎湖底遺跡資料館(尾上(おのえ)公民館内)に展示されている。島名は「神を斎(いつ)く島」に由来し、中世以来、宝厳寺は西国三十三ヵ所観音霊場として、都久夫須麻(つくぶすま)神社とあわせて多くの参詣客でにぎわい、年間を通して多くの観光客が訪れる。長浜港から竹生島行き観光船で約30分。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「竹生島」の解説

竹生島
(通称)
ちくぶしま

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
那須与市竹生島詣 など
初演
寛文3.6(江戸・市村座)

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事典・日本の観光資源 「竹生島」の解説

竹生島

(滋賀県長浜市)
関西自然に親しむ風景100選」指定の観光名所。

竹生島

(滋賀県長浜市)
湖国百選 街道編」指定の観光名所。

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事典 日本の地域遺産 「竹生島」の解説

竹生島

(滋賀県長浜市早崎町)
近江水の宝」指定の地域遺産。

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世界大百科事典(旧版)内の竹生島の言及

【伊吹山】より

…伊吹山の神が荒振(あらぶる)神として意識されていたことがわかる。もう一つは,〈近江国風土記逸文〉にある夷服岳と浅井岳の丈競べの伝説で,浅井岳が一夜にして高さを増したため,怒った夷服岳が浅井岳の頭を切り落とし,琵琶湖の竹生島ができたというものである。【宮本 袈裟雄】。…

【長唄】より

…歌舞伎や長唄を愛好する大名,旗本,豪商,文人らがその邸宅や料亭に長唄演奏家を招いて鑑賞することが流行し,なかには作詞を試みる者も現れ,作曲者たちの作曲意欲と相まって,《翁千歳三番叟(おきなせんざいさんばそう)》《秋色種(あきのいろくさ)》《鶴亀》《紀州道成寺》《四季の山姥(しきのやまんば)》《土蜘(つちぐも)》など鑑賞用長唄の傑作が生まれた。一方,前代に全盛をきわめた変化物舞踊もようやく行詰りをみせはじめ,さらに幕藩体制の崩壊,長唄愛好者の大名,旗本の高尚趣味の影響もあって,長唄にも復古的な傾向が現れ,謡曲を直接にとり入れた曲が作曲されるようになり,前述の《鶴亀》や《勧進帳》《竹生島》などが生まれた。この時期の唄方には天保の三名人といわれる3世芳村伊十郎,岡安喜代八,2世富士田音蔵,三味線方に10代目杵屋六左衛門,4世杵屋六三郎,5世杵屋三郎助(のち11代目杵屋六左衛門,3世勘五郎),2世杵屋勝三郎,囃子方に4世望月太左衛門,6世田中伝左衛門などがいる。…

※「竹生島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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