精選版 日本国語大辞典 「竹生島」の意味・読み・例文・類語
ちくぶ‐しま【竹生島】
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「近江国風土記」逸文によれば
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日本の芸能,音楽の題名。(1)能 脇能物。神物。作者不明。シテは竜神。ある朝臣(ワキ)が竹生島参詣に出かけて琵琶湖畔に着くと,老人(前ジテ)が若い女(前ヅレ)を乗せた舟を操って来るので,同乗させてもらう。湖上の春景色に興じているうちに,舟は竹生島に着いた。朝臣がこの島は女人禁制と聞いているがと不審顔をするので,老人は,島に祭る弁財天も女体の神なのだからそれは知らぬ人の言葉だと教え,島の由来を物語った末,自分たちは実は人間ではないのだといって,女は社壇の中に消え,老人は波間に姿を消す(〈クセ〉)。朝臣が待っていると社殿がゆるぎ,弁財天(後ヅレ)が姿を現し,舞の袂(たもと)を翻す(〈天女ノ舞〉)。湖上には竜神(後ジテ)が現れ,光り輝く金銀珠玉を朝臣に捧げ,国土の安全を守っていることを告げて水中に立ち去る(〈早笛(はやふえ)・舞働キ・ノリ地〉)。
前場は春の湖の叙景が中心,後場は天女,竜神の動きを見せるのが主眼。堅苦しくない軽い仕立ての脇能で,現実に珠玉を捧げるのも《高砂》などと違う点である。
執筆者:横道 万里雄(2)地歌 二上り端歌物。菊岡検校作曲,八重崎検校箏手付。竹生島の縁起を歌ったもので,最初に大阪の四天王寺から竹生島にいたる道行がつく。作詞者は不明,東都某とのみ伝えられる。菊岡,八重崎のコンビによる作品には手事物が多いが,この曲は例外。
(3)山田流箏曲 奥歌曲。千代田検校作曲。能の詞章を縮約したもの。一中節の影響が強いが,(4)とはまったくの別曲。
(4)一中節 初世宇治倭文の1854年(安政1)の作曲。当初は5世山彦河良作曲の河東節と掛合で作られたが,その河東節のほうは絶え,山田検校門下きた女作曲といわれる箏歌と掛合で行われる。山田流箏曲としても,一中節掛合物として演奏されるが,その場合,一中節の部分を,必ずしも一中節の演奏者が分担するとは限らず,初世高橋栄清が箏の手を付けたものに基づいて,山田流の演奏家が分担するのが普通。能に基づき,部分的に詞章を補ったり省略したりしてある。
(5)長唄 本名題《今様竹生島》。11世杵屋(きねや)六左衛門作曲。1862年(文久2)8月江戸中村座《時握虎券(ときはいまやつこのうけじよう)》に用いられた。
(6)常磐津節 1897年竹柴其水作詞,5世岸沢古式部作曲。常磐津,岸沢両派の和解を暗示する詞章が含まれる。
上記のほか,琵琶湖の竹生島に関する縁起譚ないし参詣道行を題材としたものは,同島に祭られている弁財天が芸能神であるため,非常に多い。平曲には《竹生島詣》があり,人形浄瑠璃《源平布引滝》や狂言,歌舞伎にも採り入れられている。邦楽にはこの島名を曲名の通称,別称として用いる〈竹生島物〉が数多くある。やはり弁財天を祭る東の江の島(《江の島》)も同様で,〈弁天信仰物〉を成す。
執筆者:平野 健次
琵琶湖の北部,葛籠尾(つづらお)崎の南2kmにある島。滋賀県長浜市に属する。周囲2km,面積0.14km2の石英斑岩からなる小島で,全島が杉,松などの常緑樹でおおわれ,社寺以外に集落はなく,古来信仰の対象とされてきた。また琵琶湖八景の一つ〈深緑竹生島の沈影〉の景勝地で,島全体が国の名勝・史跡に指定されている。琵琶湖国定公園に含まれ,大津,今津,彦根,長浜などから観光船の便がある。
執筆者:井戸 庄三
竹生島の生成には次のような話がある。昔,伊吹山に多多美彦(たたみひこ)命(夷服岳(いぶきのたけ)神),久恵(くえ)の峰に姉の比佐志姫(ひさしひめ)命,浅井の岡に姪の浅井姫命がいた。あるとき夷服岳と浅井の岡が背くらべをし,浅井の岡が一夜のうちに高くなったので,夷服岳神が立腹し浅井姫を切り殺してしまった。そのとき浅井姫の頭が琵琶湖にころがり落ちて島となったのが,竹生島だという。島内には浅井姫命をまつる都久夫須麻(つくぶすま)神社がある。中世以降,神仏習合により弁才天を本地仏とし,竹生島弁才天は江の島,厳(いつく)島の弁才天とともに日本三弁天の一つに数えられた。《平家物語》には,琵琶の名手として聞こえた平経正が竹生島に参詣し,戦勝を祈願して琵琶を弾じた話がみえる。弁天のゆかりにより,琵琶にまつわる説話は少なくない。神社に隣接する宝厳寺は現在,真言宗豊山派に属し,山号を巌金山という。伝えによれば,はじめ竹生島寺といい,行基を開基とした。のち元興(がんごう)寺の泰平,東大寺の賢円が来て,753年(天平勝宝5)千手観音をまつった。平安時代には延暦寺の僧が多数来島し,山門系の聖地となった。また都久夫須麻神社の神宮寺として,その本地仏の弁天をまつった。1558年(永禄1)全島が火災にあったが,1602年(慶長7)豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行とし,島内の伽藍を復興した。このとき造営された本堂(弁天堂)は明治初年の神仏分離の際,都久夫須麻神社の本殿として引き渡され,宝厳寺としては1942年弁天堂を再建した。また観音堂は西国三十三所第30番の札所として有名である。観音堂は重要文化財,唐門は国宝。宝厳寺には《法華経序品》(国宝),《普賢十羅刹女図額》,《弥陀三尊来迎図額》(刺繡),石造五重塔,銅印(以上重要文化財)などがある。《法華経序品》は《竹生島経》と呼ばれ,平安後期の作で,地紙に金銀泥で花蝶を描き,《平家納経》との類似が認められる。
執筆者:伊藤 唯真
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…伊吹山の神が荒振(あらぶる)神として意識されていたことがわかる。もう一つは,〈近江国風土記逸文〉にある夷服岳と浅井岳の丈競べの伝説で,浅井岳が一夜にして高さを増したため,怒った夷服岳が浅井岳の頭を切り落とし,琵琶湖の竹生島ができたというものである。【宮本 袈裟雄】。…
…歌舞伎や長唄を愛好する大名,旗本,豪商,文人らがその邸宅や料亭に長唄演奏家を招いて鑑賞することが流行し,なかには作詞を試みる者も現れ,作曲者たちの作曲意欲と相まって,《翁千歳三番叟(おきなせんざいさんばそう)》《秋色種(あきのいろくさ)》《鶴亀》《紀州道成寺》《四季の山姥(しきのやまんば)》《土蜘(つちぐも)》など鑑賞用長唄の傑作が生まれた。一方,前代に全盛をきわめた変化物舞踊もようやく行詰りをみせはじめ,さらに幕藩体制の崩壊,長唄愛好者の大名,旗本の高尚趣味の影響もあって,長唄にも復古的な傾向が現れ,謡曲を直接にとり入れた曲が作曲されるようになり,前述の《鶴亀》や《勧進帳》《竹生島》などが生まれた。この時期の唄方には天保の三名人といわれる3世芳村伊十郎,岡安喜代八,2世富士田音蔵,三味線方に10代目杵屋六左衛門,4世杵屋六三郎,5世杵屋三郎助(のち11代目杵屋六左衛門,3世勘五郎),2世杵屋勝三郎,囃子方に4世望月太左衛門,6世田中伝左衛門などがいる。…
※「竹生島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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