出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
実業家。広島県に生まれる。1916年(大正5)大阪高等工業学校醸造科卒業。その直前から摂津酒精醸造所に入り、洋酒づくりに従事。18~21年までウイスキー製造の勉強のためイギリスに留学。22年ウイスキー製造計画立ち消えのため退社。翌年鳥井信次郎の寿屋(ことぶきや)(現サントリー)に10年契約で入社し、ウイスキー製造に尽力。独立して34年(昭和9)大日本果汁を設立、北海道余市(よいち)でウイスキー製造を準備。40年ニッカウイスキー第1号を発売する。43年社長に就任。52年(昭和27)ニッカウヰスキーと社名変更。戦後の洋酒ブームで業績を伸ばし、ソフト・ウイスキーの先鞭(せんべん)をつける。70年会長となった。
[前田和利]
『竹鶴政孝著『ウイスキーと私』(1972・ニッカウヰスキー株式会社)』
(2013-11-20)
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[日本のウィスキー]
日本にウィスキーが輸入されたのは明治初年で,明治末期には模造品が製造されていた。第1次世界大戦後,竹鶴政孝はスコットランドに留学し,スコッチの製法を習得して帰国し,寿屋(現,サントリー)の鳥井信治郎に迎えられた。京都郊外の山崎に工場を建設し,1924年から蒸留を始め,29年に国産ウィスキー第1号が誕生した。…
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[ウィスキー]
日本最初の本格的ウィスキーは,1929年寿屋(現,サントリー)が京都近郊の山崎工場で製造した〈サントリー白札〉である。これは,1918年よりスコットランドのグラスゴーにウィスキーの製法を学びに行っていた竹鶴政孝(1894‐1979)が,帰国後の23年に寿屋に迎えられて完成したものであった。ウィスキーの名のつくものは,同じく寿屋が1911年に〈ヘルメスウイスキー〉を発売しているが,一種の混成酒であった。…
※「竹鶴政孝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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