米会所(読み)コメカイショ

デジタル大辞泉 「米会所」の意味・読み・例文・類語

こめ‐かいしょ〔‐クワイシヨ〕【米会所】

江戸時代米市運営をまかされた役所
明治9年(1876)以前の米穀取引所旧称

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精選版 日本国語大辞典 「米会所」の意味・読み・例文・類語

こめ‐かいしょ ‥クヮイショ【米会所】

〘名〙 江戸時代および明治時代初期、米の売買取引を行なった米商組合の集会所。明治九年(一八七六発布米商会所条例により米商会所となり、同二六年の取引所法により米穀取引所に改変された。〔財政経済史料‐三・経済・商業・米商・享保一二年(1727)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「米会所」の意味・わかりやすい解説

米会所 (こめかいしょ)

江戸時代における米穀類の取引所。石高制にもとづく江戸時代の貢納は原則として米であり,大量の年貢米がその貨幣化のために市場に放出されたから,城下町や主要な在町,また港湾都市や中央都市などの米の集散地には単一商品の卸売市場としての米市が成立した。もっとも初期の米取引は特定の会所をもつことなく,随時仲買が寄集して相場立てを行ったと思われ,各地の米会所の成立年次は明確でなく,興廃・中絶も一様ではないが,西廻海運開通以前,北国米・江州米の集散地であった大津では,1644年(正保1)に成立している。また諸藩蔵屋敷の発行する米切手によって正米取引が行われた大坂では,前期に町人蔵元淀屋の店頭で相場立てが行われたが,淀屋闕所後の97年(元禄10)ころ堂島米市場が成立したという。この米切手による正米取引は,しだいに未着米の先物取引などの延売買へと進み,さらに建物米を設けて,つなぎ売買を行う定期取引へと進展した。幕府はこのような現物授受を離れた投機取引を米価騰貴抑制の見地から禁圧したが,米価の低落が続いた1725年(享保10)延売買を解禁し,翌26年から30年の間,3次にわたって江戸商人による大坂米会所設立を認可,京都・大津・江戸にも出願人に米会所を公許したが,いずれも同地の米商の反発をうけて失敗した。30年幕府は米価引上げのために従来禁圧していた堂島の帳合米取引を公認し,米仲買の有力者を米方年行司に任命して堂島米会所の総括に当たらせた。諸藩の城下町などでは,藩士の禄米を米札をもって支給し,その米札の売買を行う米座・米場を設けたところがあり,庄内藩の鶴岡・酒田,加賀藩の金沢・高岡などがそれで,幕府の公認より早く,また新潟・桑名・名古屋・堺・兵庫・尾道・赤間関・博多などの米会所では,藩の認可・黙認のもとで,正米取引と並んで堂島相場に準拠した先物取引が行われていた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「米会所」の意味・わかりやすい解説

米会所
こめかいしょ

江戸時代における米の取引所あるいは取引所に付随した米商人の組合事務所をいう。用語としては明治以降も使用される場合もある。石高制に基づく米納年貢制がとられた江戸時代にあっては、諸領主の財政は主として年貢米によっており、諸領主は貨幣獲得のためにこれら大量の年貢米を商品化する必要があった。したがって城下町や港町、大坂などの中央都市では活発な米取引が行われ、これら米集散地のなかには米の卸売市場としての米市(こめいち)や米会所が成立した。卸売市場としての米会所の成立時期や組織は一様ではないが、1644年(正保元)に大津の米会所が成立している。大坂では17世紀末以降、堂島(どうじま)米市場が米取引の中心となるが、それに付随した形で米会所が成立する。この堂島米会所は堂島米市場に付随する事務所施設であり、堂島米仲買の代表である米方年行司(こめかたねんぎょうじ)が運営にあたった。なお大坂では1725(享保10)~1730年の間に幕府公認の下、3回にわたって江戸商人による米会所が設立されている。この米会所は米取引所であったが、いずれも大坂商人の反発を受け短期間で廃止されている。畿内(きない)直轄都市ではこのほかにも堺、兵庫に米取引の場としての米会所があった。一方、諸藩領の米会所としては、金沢、名古屋、桑名、広島、尾道(おのみち)、赤間関(あかまがせき)、博多などの例が知られ、これら米会所では藩の認可や黙認の下で正米(しょうまい)取引や米の先物取引が行われた。

[本城正徳]

『鈴木直二著『徳川時代の米穀配給組織』復刻版(1977・国書刊行会)』『土肥鑑高著『近世米穀流通史の研究』(1969・隣人社)』

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百科事典マイペディア 「米会所」の意味・わかりやすい解説

米会所【こめかいしょ】

江戸時代の米穀類の取引所(市場)。諸藩の蔵屋敷が集中した大坂では蔵元(くらもと)淀屋の店頭で相場立が行われたが,淀屋処罰後,1697年ごろ堂島(どうじま)米市場が成立。1730年には堂島での帳合米(米相場)取引を公認。なお北国米・江州米の集散地の大津(おおつ)には1644年米会所が成立。ほかに各藩の城下町や港津(鶴岡・酒田・金沢・名古屋・兵庫・博多など)にも領域的な米会所が形成され,堂島相場に準じた取り引きが行われた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「米会所」の解説

米会所
こめかいしょ

江戸時代の米穀取引所またはその事務所。石高制での幕藩領主の財政収入の大半は年貢米で,これを換金する市場は不可欠だったため各所に米市や米会所が成立した。大坂では元禄頃に堂島で帳合米商(ちょうあいまいあきない)などの取引が行われた。はじめ幕府はこの取引を禁止していたが,低迷が続く米価引上げのため1730年(享保15)堂島での帳合米商を公許し,その会所運営を米仲買から選ばれた米方年行司に総括させた。江戸の米会所は,米延売切手売相場会所など米価引上げのために江戸の米商人がたびたび設置したもの,諸藩が払米(はらいまい)のため各自で設置したものがあった。そのほか名古屋・金沢などの城下町,赤間関(あかまがせき)(下関)などの港町にも米会所が設置されている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「米会所」の意味・わかりやすい解説

米会所
こめかいしょ

江戸時代,江戸や大坂などの大都市,諸藩の城下町,新潟などに設けられた米穀集散地の米商組合の集合所。米相場や手形引替所を兼ねていた。

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世界大百科事典(旧版)内の米会所の言及

【大津[市]】より

… 一方,港町の施設としては,湖岸に川口関,大橋堀などの荷揚場が築かれ,その付近に幕府や彦根藩,加賀藩をはじめ多くの蔵屋敷が軒を並べていた。天領,私領の別なく膨大な量の年貢米が荷揚げされ,米相場がたち,1735年(享保20)には米の取引を管掌する御用米会所もおかれている。商業面では,これらの米を扱う米問屋のほか,江戸後期には酒屋,両替屋,絞油屋など37業種が株仲間を結成していた。…

【相場師】より

…その売り買いによって,取引所の市場価格が影響されるほどの者も,しばしば出現する。日本では近世初期,すでに大坂堂島の米会所で,投機取引が発達し,相場師が出ている。1816年(文化13)ころの《世事見聞録》には,米相場は大坂堂島が日本第一の根元で,そこには相場師という強勢なものが多くいて,ひとりで米10万石から100万石ほどを売買したりして,器量くらべ,運くらべをして勝負を決めているとある。…

【堂島米市場】より

…正徳(1711‐16)ごろには江戸の三谷三左衛門ほか2名が幕府から当地に大坂米座御為替御用会所の設立を許可され,同会所が米取引をとりしきった。同会所は1722年(享保7)ごろには廃止されたが,以降も江戸商人による米会所が計3回にわたって許可された。すなわち紀伊国屋源兵衛ほか2名による大坂御為替米御用会所(1725‐26),中川清三郎ほか2名による堂島永来町御用会所(1727‐28),冬木善太郎ほか4名による北浜冬木会所(1730)がそれである。…

※「米会所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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