糸田町(読み)いとだまち

日本歴史地名大系 「糸田町」の解説

糸田町
いとだまち

面積:八・〇四平方キロ(境界未定)

田川郡の北西部、遠賀おんが川水系の中元寺ちゆうがんじ川とたぎり川の流域に広がる平野部と、金国かなくに山系せきの山・日王ひのお山の山裾に位置する。東から南は田川市(一部は境界未定)、西は嘉穂かほ庄内しようない町・頴田かいた町、北は金田かなだ町に接する。古代以降、現在に至るまで田川郡に所属。平安時代末期には宇佐弥勒寺領糸田庄が成立しており、庄鎮守とされる糸田八幡神社は建久年間(一一九〇―九九)に糸田庄の庄司白沢家広が山城石清水いわしみず八幡宮を勧請したと伝える。江戸時代は小倉藩領となり、幕末に至る。正保国絵図では当町域に糸田村大熊おおくま村・宮床みやとこ村が成立しており、さらにねずいけ村も存在した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「糸田町」の意味・わかりやすい解説

糸田〔町〕
いとだ

福岡県中部,田川市の北に接する町。 1939年町制。遠賀川支流の中元寺川流域にあり,元来水田地帯であったが,1890年頃以降田川市とともに炭鉱町として発展。一時は1万 5000近い人口を擁したが,1955年頃に始った石炭産業合理化により,全炭鉱が閉山した。平成筑豊鉄道糸田線国道 201号線が通じる。面積 8.04km2(境界未定)。人口 8407(2020)。

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