紀古佐美(読み)きのこさみ

精選版 日本国語大辞典 「紀古佐美」の意味・読み・例文・類語

き‐の‐こさみ【紀古佐美】

奈良時代武将大納言陸奥守延暦七年(七八八)征東大使として蝦夷討伐にあたったが、衣川前進をはばまれ、帰京。天平五~延暦一六年(七三三‐七九七

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改訂新版 世界大百科事典 「紀古佐美」の意味・わかりやすい解説

紀古佐美 (きのこさみ)
生没年:733-797(天平5-延暦16)

平安初期の官人貴族。麻呂の孫,宿奈麻呂の子。764年(天平宝字8)従五位下。丹後守,式部少輔,右少弁歴任。780年(宝亀11)蝦夷の反乱の際,征東副使に任ぜられ,翌年陸奥守となり,労によって従四位下勲四等に叙された。その後参議左大弁となったが,788年(延暦7)再び征東大使に任じた。翌年春,諸国の軍を多賀城に集結し,賊地に進攻したが,衣川で蝦夷の反撃をうけて惨敗を喫した。同年9月帰京し,敗軍責任を問われたが,年来の奉仕のゆえにとくに許された。その後正三位大納言にすすみ,797年没した。衣川の敗戦は,兵制改革を促す契機となった。
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朝日日本歴史人物事典 「紀古佐美」の解説

紀古佐美

没年:延暦16.4.4(797.5.4)
生年:天平5(733)
奈良時代の公卿。麻呂の孫,宿奈麻呂の子。天平宝字8(764)年10月従五位下。丹後守,兵部少輔,式部少輔,伊勢介,右少弁を経て,宝亀11(780)年3月蝦夷で伊治呰麻呂が反乱を起こすと征東副使に任命され,大使藤原継縄と共に陸奥(東北地方)へ赴いた。戦果は少なかったが天応1(781)年9月帰京し従四位下,勲4等を授けられた。のち式部大輔,中衛中将などを経て,延暦4(785)年4月参議。さらに春宮大夫,左右大弁を歴任し,7年7月征東大使となった。兵士を動員し,食糧を十分に多賀城(多賀城市)に運びこんだ上での征討軍であったが,蝦夷の族長阿弖流為のために大敗を喫した。しかし中央に対し虚偽の報告をし,帰京後問責された。蝦夷征討はこの2年後坂上田村麻呂の登場によって進展した。12年1月,大納言藤原小黒麻呂らと共に遷都のために山背国葛野郡宇太村(京都市北区,右京区)を視察した。15年7月正三位大納言。

(寺崎保広)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「紀古佐美」の意味・わかりやすい解説

紀古佐美
きのこさみ

[生]天平5(733)
[没]延暦16(797).4.4.
平安時代初期の廷臣。宿奈麻呂の子とも,飯麻呂 (おものまろ) の子ともいう。宝亀 11 (780) 年,蝦夷の伊治呰麻呂 (いじのあたまろ) の乱に,征東副使としてこれをしずめ,天応1 (781) 年,功により従四位下に叙せられた。延暦4 (785) 年参議,同7年征東大使となり,翌年軍を陸奥多賀城 (→多賀城跡 ) に集め,蝦夷平定の任についた。しかし巣伏村で蝦夷に敗れてから戦況ははかばかしくなかった。同年奏上した軍功の虚偽が表われ,副将以下は処罰されたが,古佐美は罰を免れた。同 13年中納言正三位,同 15年大納言に昇進,翌年東宮傅 (とうぐうふ) を兼ねたが,まもなく没した。 (→紀氏 )  

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「紀古佐美」の意味・わかりやすい解説

紀古佐美
きのこさみ
(733―797)

平安前期の律令(りつりょう)官人。宿奈麻呂(すくなまろ)の子。764年(天平宝字8)従(じゅ)五位下(げ)に叙してより、左兵衛督(さひょうえのかみ)、左中弁、式部大輔(たいふ)や陸奥(むつ)・但馬守(たじまのかみ)などの内外官を歴任、785年(延暦4)参議、794年中納言(ちゅうなごん)正三位(しょうさんみ)、796年大納言に上った。この間、780年(宝亀11)征東副使に任ぜられ、翌年にかけて蝦夷(えみし)反乱の鎮定にあたる。また788年(延暦7)には征東大使に任じ、翌年3月諸国の兵を多賀城に会して賊地に侵攻した。しかし官軍は衣川(ころもがわ)で大損害を受け、9月には戦果のないまま帰京。朝廷は敗将の罪を勘問・処断したが、古佐美は従前の勤労によってとくに免ぜられた。延暦(えんりゃく)16年4月4日没したのち贈従二位。

[谷口 昭]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「紀古佐美」の解説

紀古佐美 きの-こさみ

733-797 奈良-平安時代前期の公卿(くぎょう)。
天平(てんぴょう)5年生まれ。紀麻呂の孫。紀広浜の父。宝亀(ほうき)11年蝦夷(えみし)の伊治呰麻呂(いじの-あざまろ)の反乱の際,征東副使。式部大輔(たいふ),中衛中将などをへて,延暦(えんりゃく)4年参議。7年征東大使となり,翌年ふたたび蝦夷を攻めるが,陸奥(むつ)衣川で阿弖流為(あてるい)の軍に惨敗する。のち正三位,大納言。延暦16年4月4日死去。65歳。

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百科事典マイペディア 「紀古佐美」の意味・わかりやすい解説

紀古佐美【きのこさみ】

平安初期の官人貴族。紀宿奈麻呂の子。丹後守,式部少輔,右少弁などを歴任,780年征東副使に任じられ,翌年陸奥守となった。788年再び征東大使に任じられ,翌年の征討で蝦夷の反撃を受けて大敗した。帰京後,敗軍の責任を問われたが,とくに免ぜられ,その後正三位大納言に進んだ。

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