納富介次郎(読み)のうとみ・かいじろう

朝日日本歴史人物事典 「納富介次郎」の解説

納富介次郎

没年:大正7.3.9(1918)
生年天保14(1843)
明治期における窯業界の先覚者肥前(佐賀)藩の支藩小城藩の家臣柴田花守の子で,介堂と号した。若いとき父に伴われて有田に行き,絵を父に学び,また南画を長崎で学んだ。文久2(1862)年中国に赴き政情視察,帰国後鍋島藩の顧問となって上海貿易を始める。明治に入り,6(1873)年ウィーン万国博に川原忠次郎と共に渡欧し,石膏成形法などを学んで帰り,9年にはアメリカのフィラデルフィア万国博に審査官として出張。11年に東京牛込に江戸川製陶所を興し,20年には石川県工業学校,27年富山県工業学校,33年佐賀県工業学校を創立するなど,窯業技術の育成に努め,産業の基盤作りを行った。

(矢部良明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「納富介次郎」の解説

納富介次郎 のうどみ-かいじろう

1844-1918 明治-大正時代の陶芸家,教育者。
天保(てんぽう)15年4月3日生まれ。肥前小城(おぎ)藩(佐賀県)藩士柴田花守の次男。父に書画,詩歌をまなぶ。明治6年ヨーロッパ各地の製陶所を見学して帰国,勧業寮で新技術をおしえる。のち石川,富山,佐賀などの県立工業学校長をつとめた。大正7年3月9日死去。75歳。号は介堂。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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