縄文人(読み)じょうもんじん

改訂新版 世界大百科事典 「縄文人」の意味・わかりやすい解説

縄文人 (じょうもんじん)

約1万5000年前から3000年近く前まで続いた縄文時代に日本列島に住んでいた人々を指す。人骨の出土例が縄文時代後半に偏っているため,初期の縄文人についてはまだ疑問点も多いが,主に後期~晩期の資料に基づく研究により,おおむね以下のような,後世の日本列島人とはかなり異なった特徴をもっていたことが明らかにされている。

 まず,脳頭蓋はかなり大きく,高さは低めだが,前後長,幅とも現代日本人を上回り,長さと幅の比率で見ると,いわゆる中頭型(頭の幅と前後長の比率,すなわち頭蓋長幅示数が75~80)で,この点でも強く短頭(同前80以上)に傾く現代人とは差がみられる。顔は高さが低い割に横幅が広く,低・広顔傾向が強い。眉間や眉弓部が強く張り出す一方,その下の鼻根部はくっきり凹み,さらに鼻骨の彎曲が強くて太目ながら鼻筋が通った,彫りの深い顔立ちをもつ。また,頬骨が横に張り出し,顎のエラ(下顎角)の発達も目立つので,四角く,いかつい印象を与えるものが多い。眼球を入れる眼窩は,上縁が直線的で丈の低い四角形に近い形をしている。歯並びは整然としている個体が多く,後世の農耕集団に比べて虫歯も比較的少ない。ただ,歯の擦り減り方は激しく,中年以上になるとほとんど歯根だけしか残っていないような個体も珍しくない。また,歯が竹槍の先端のように斜めに擦り減っていたり,上下の歯列の間に紡錘型の隙間のあるような,歯を咀嚼以外の目的で使用したことを窺わせる例も報告されている。噛み合わせは,毛抜きのように上下の歯先がぴったり合わさる鉗子(かんし)状咬合(こうごう)がほとんどである。さらに縄文人の歯のサイズは,後世の日本人に比べてもさらに小さいことが明らかにされ,上顎中切歯の裏面に弥生時代以降の日本人のようなシャベル丈の凹みが少なく,東南アジアの人に多い歯列(スンダ型歯列)をもつ。

 一方,身長は概して低く,男性平均で157~8センチ,女性では147~148センチ程度だが,手足のプロポーションにおいて,上腕に対して前腕が,大腿に対して下腿が相対的に長く,現代日本人のような胴長短足傾向とは異なる。全体的にがっしりした骨格をもち,筋肉の付着する部分の発達が非常に良好で,そのため骨の断面が独特の形状をみせる。例えば大腿骨では,後面の粗線という太腿の筋肉が着く部分が突出するため,いわゆる柱状大腿骨形成する。また脛骨でも,後面のふくらはぎの筋肉の運動量などと関係して,左右の幅が狭い割に前後の厚みが増した扁平な骨体をもつ人が多い。

 以上のような縄文時代後半の人骨で指摘された特徴は,おおむね早期~前期人骨でも見られるが,時代が古くなるほどその程度を強めて下顎や四肢骨がより華奢になり,歯の咬耗の程度や特殊な使用痕が増える傾向にあることなどが指摘されている。ただ,早期~前期人骨の多くは洞窟遺跡,後半期のものは貝塚など沿岸部から出土したものが多いので,生活環境の違いによる変化が加味されている可能性も考慮する必要がある。例えば男性の四肢骨,とくに上肢骨に明確な時代変化(後半期ほど頑丈になる)がみられるが,これは時代と共に沿岸部では定住性が強まり,食生活が安定すると同時に,男性への労働負担が増えた結果であろうとの指摘がある。

 縄文人と弥生時代以降の日本列島人との違いの大きさに比べると,縄文人の地域差の程度はさほど顕著なものではないが,例えば本州域を東西に分けてみた場合,顔高や身長は東で少し高く,顔面の扁平性は西で強まる傾向をみせることなどが明らかになっている。また,北海道の縄文人も,少なくとも石狩平野以南では低顔性や彫りの深い顔貌など,おおむね本州縄文人に類似した特徴を共有しているが,道北,道東の縄文人についてはまだ不明瞭な点が多い。一方,列島南端の沖縄では,本土縄文人と類似する人骨と同時に,より扁平な顔面をもつ個体や,種子島の広田弥生時代人に似た強度の短頭,低顔,低身長の人骨も発見されるなど,やや複雑な様相をみせている。北海道縄文人が本州との繋がりのほかに,おそらく周辺の沿海州などからの影響を受け続けたのと同様に,沖縄についても,その詳細は不明ながら,周辺域やさらに南のアジア南部から影響を受けた可能性を考慮すべきであろう。

 いずれにしろ,当時の東アジアにおいて,これら縄文人の示す特徴は非常にユニークなものであり,今のところ同時代の東アジアに類似集団はみあたらない。おそらく後期更新世に流入した人々の古い形質が受け継がれたものであろうが,その起源としては,例えば沖縄の港川人や南中国の柳江人,あるいはオーストラリアのキーローなど,アジア南部との繋がりが指摘されている。その一方で,北海道縄文人のミトコンドリアDNA分析では,中世期に流入したオホーツク文化人や現代の大陸東北部の集団との近縁性が示され,アジア北部からの影響も示唆されている。化石資料の不足により実態はまだ不明ながら,地理的な条件や石器文化の繋がりからみて,このようなアジアの南や北からの影響のほか,おそらく朝鮮半島経由の流入も加わり,氷河時代の終焉に伴う海面上昇によって孤立化した日本列島内で,次第に融合しながら縄文人の形成に至ったものと考えられる。
縄文文化 →日本人
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

知恵蔵 「縄文人」の解説

縄文人

日本列島に1万数千年前から約2000年前まで住みついて、縄文式土器を製作使用していた人々。立体的で四角く短い顔立ちは、弥生時代以降の本土日本人とは異なっている。歯の摩耗が著しく、咬み合わせは爪切状である。小柄だが、腕や脚の先の方が長く、筋肉が発達した体つきは、多角的採集狩猟生活への適応と見なされる。縄文人は現代日本人全体の基層集団であり、その直系の子孫がアイヌであると考えられている。

(馬場悠男 国立科学博物館人類研究部長 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「縄文人」の解説

じょうもんじん【縄文人】

宮崎のヤシの実焼酎。蔵元の「王手門酒造」は明治28年(1895)創業。所在地は日南市北郷町大藤甲。

出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の縄文人の言及

【縄文文化】より


[家畜の飼育]
 早期初頭の神奈川県夏島貝塚からイヌの骨格が発見されており,世界的にも相当古い飼育例となる。さらにイヌの死体も手厚く葬られており,狩猟あるいは愛玩用としての縄文人との緊密な関係がうかがわれる。また,イノシシの生息しない北海道から多数の牙が発見されており,イノシシの子(ウリンボウ)の特色を示す横縞文様をもつ土製像がある。…

※「縄文人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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