20世紀日本人名事典 「織田 幹雄」の解説
織田 幹雄
オダ ミキオ
昭和・平成期の三段跳び選手,スポーツ評論家 日本陸上競技連盟名誉会長。
- 生年
- 明治38(1905)年3月30日
- 没年
- 平成10(1998)年12月2日
- 出生地
- 広島県安芸郡海田町
- 学歴〔年〕
- 早稲田大学商学部卒
- 主な受賞名〔年〕
- 紫綬褒章〔昭和34年〕,国際オリンピック委員会オリンピック功労章銀章〔昭和54年〕,早稲田大学スポーツ功労賞〔昭和57年〕,文化功労者〔昭和63年〕,広島市名誉市民〔平成1年〕,ジーフェルト賞〔平成3年〕
- 経歴
- パリ五輪、アムステルダム五輪、ロス五輪と3回連続して五輪に出場し、昭和3年のアムステルダム五輪では15メートル21をマークし、金メダルを獲得。日本人初の金メダリストとなった。6年15メートル58の世界記録をマーク。走り幅跳び、走り高跳びなどでも活躍。大学卒業後、朝日新聞運動部記者を経て、50年まで早稲田大学教授を務め、日本陸連、国際陸連の要職を歴任した。日本陸上界育ての親であり、“三段跳び”という言葉を考案するなど博識の理論家としても知られた。ヘルシンキ五輪、東京五輪の陸上監督、JOC委員なども務めた。平成6年広島広域公園陸上競技場に記念碑が建てられた。12年神奈川県藤沢市の自宅で、アムステルダム五輪当時の様子を綴った「Diary of Olympic 1928」と題された日記が見つかる。著書に「跳躍一路」「世界記録を目ざして」「オリンピック物語」「東京オリンピック」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報