自由劇場(アンダーグラウンド自由劇場)(読み)じゆうげきじょう

世界大百科事典(旧版)内の自由劇場(アンダーグラウンド自由劇場)の言及

【軽演劇】より

… 近年の成果としては,むしろ〈60年安保〉以後,若者の人気を集めた,いわゆるアングラ劇,小劇場運動の中から,佐藤B作,花王おさむらの〈東京ヴォードヴィルショー〉(1973発足),柄本明,ベンガル,高田純次らの〈東京乾電池〉などの,〈ネオ軽演劇〉ともいうべき一派が育ったことが大きい(ここには奇しくも,戦前の軽演劇誕生の状況に相通ずるものがある)。これらのタレントが巣立った〈自由劇場〉(1966発足。ただし正確には75年再組織のオンシアター自由劇場)の,斎藤憐作《上海バンスキング》(1979初演)は,戦後軽演劇の代表作といってよかろう。…

【劇団】より

…まずドイツ,マイニンゲン市のゲオルク2世が1860年に組織した〈マイニンゲン一座〉は演技アンサンブルの重要性を強調し,写実的装置の確立をはかり,近代演劇の先駆となった。そして87年にパリでA.アントアーヌの〈自由劇場〉運動が展開され,その自然主義的演劇活動が大きな衝撃を劇界に与えた。同時に,劇作家の協力を得て,演出家を中核に,演技アンサンブルを尊重し,装置,照明に立体的造形をはかる上演集団のあり方が劇団制の問題として再検討・再認識された。…

【前衛劇】より

…独特の身体論に基づく鈴木の演技術の提唱も,多くの人々の注目するところとなっている。 また,佐藤信(1943‐ )は,俳優座養成所を出たのち,同じく同養成所の卒業生であった串田和美(かずよし),斎藤憐(れん)らと66年に〈アンダーグラウンド自由劇場〉を結成,同年処女戯曲《地下鉄・イスメネ》を発表して注目される存在となった。自由劇場は68年には〈六月劇場〉〈発見の会〉と合同して〈演劇センター68/69〉と改組,さらに70年からは〈演劇センター68/70〉としてトラックで移動する黒色テント公演に入るが,その中でも佐藤は《鼠小僧次郎吉》《喜劇阿部定――昭和の欲情》など多くの好戯曲を執筆・演出して,中心的な役割を果たした。…

※「自由劇場(アンダーグラウンド自由劇場)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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