臼杵(市)(読み)うすき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「臼杵(市)」の意味・わかりやすい解説

臼杵(市)
うすき

大分県の南東部にある市。1950年(昭和25)臼杵町と海辺(あまべ)村が合併して市制施行。1954年佐志生(さしう)、下ノ江(したのえ)、下北津留(しもきたつる)、上北津留、南津留の5村を編入。2005年(平成17)大野郡野津町(のつまち)と合併。市域は、豊後水道(ぶんごすいどう)に面した臼杵湾に臨み、南部には楯ヶ城山や石峠山などがある。臼杵川、末広川、熊崎川が臼杵湾に注ぎ、野津川が南西部を東西に流れ、これら河川沿いに水田があり、野津地区には火山灰台地が広がる。臼杵川河口付近の旧城下町地区が中心市街地となっている。JR日豊(にっぽう)本線、国道10号、217号、502号が通じ、東九州自動車道の臼杵インターチェンジがある。また、臼杵港と愛媛県八幡浜(やわたはま)市との間にフェリーボートの定期船がある。

 1563年(永禄6)キリシタン大名大友宗麟(そうりん)が阿蘇(あそ)溶岩流末端の 丹生島(にうじま)に築城、東九州の政治・経済の要地となり、ポルトガルイスパニア、明(みん)などの貿易船も入港し、南蛮文化の花開いた地であった。大友氏滅亡後も福原、太田、稲葉(5万石)氏の城下町として続き、明治以後は北海部(きたあまべ)地方の中心地として栄えた。中世の城下町は海添(かいぞえ)、唐人(とうじん)町、市(いち)、はまの町、ぎおんのす、などの町からなり、武士集住地区の形成はなかったらしい。キリスト教の会堂、寺院と町屋は1586年(天正14)島津義久(よしひさ)の軍に焼かれた。近世の城下町は、城西の祇園洲(ぎおんのす)と二王座(におうざ)、海添の台地が侍(さむらい)町、その間が町屋であった。二王座の旧家・寺院の密集地域と唐人町の醸造業老舗(ろうほ)地区には往時をしのばせる建物や町並みが残っている。近世野津郷五か村の中心であった市場町の野津地区では、1766年(明和3)4・9の市(いち)日が1・6の日に変更。のち衰えたらしく、1808年(文化5)元の六斎市(ろくさいいち)に復することを臼杵潘(うすきはん)に申請、許可されている。いまも旧暦10月3日から三日市が立つ。

 主要産業としては江戸時代以来の醸造業が有名。中心市街地には江戸時代からの伝統をもつみそ・しょうゆと薬品の工場があり、商工業は盛んである。農業は、米、ムギのほかサツマイモ、ニラ、ピーマン、トマトなどの野菜の栽培が盛ん。とくに葉タバコ、カボスは日本有数の産地となっている。北部の佐志生、下ノ江、北津留にはミカン園が多い。下ノ江は入り江に臨み、江戸時代は風待ち港として栄え、湾内でカキが養殖され、湾奥の埋立地に造船所がある。海辺の津留は船舶運搬業や船乗りが多い。臼杵湾の南側には板知屋(いたちや)、風成(かざなし)、大泊(おおとまり)、深江(ふかえ)の漁港がある。沿岸漁業では一本釣り、はえ縄、小型底びき網などが中心で、沖合漁業ではカジキの突きん棒漁業がある。魚類や真珠の養殖なども盛ん。

 旧石器時代の遺跡が残り、古くから人が住んでいた。諏訪(すわ)の下山古墳(しもやまこふん)は国指定史跡。稲田の臼塚古墳(うすづかこふん)の石人(石甲(せっこう))2体(現在は臼杵神社の所蔵)は国指定重要文化財で、その石人は臼と杵(きね)の形を表し臼杵という地名の起源ともされる。平安時代から室町時代にかけて彫られた石仏群の臼杵磨崖仏(まがいぶつ)(臼杵石仏)は国の特別史跡に指定されており、そのうちの中尾・深田(ふかた)地区の石仏59躯(く)は国宝。泊(とまり)地区の風連鍾乳洞(ふうれんしょうにゅうどう)(風連洞窟)は国指定天然記念物。深田の石造宝篋印塔(ほうきょういんとう)、王子(おうじ)の石造九重塔、八里合(はちりごう)の石造五輪塔は、国指定重要文化財。なお、同じく国の重要文化財である虹澗橋(こうかんきょう)は、大野川の支流三重川に架かる石造アーチ橋で、1824年(文政7)に架橋され現在も歩行に使用されている。九州一円、とくに大分県には石造アーチ橋が多いが、臼杵市内には、ほかにもいくつかの石造アーチ橋が残っている。丹生島城(臼杵城)跡の臼杵公園はサクラの名所。伝統的建造物の町並保存に力を入れており、浜町の野上弥生子(のがみやえこ)文学記念館は、彼女の生家である小手川酒造の建物を利用・改築したもの。なお、佐志生は、1600年(慶長5)日本に来航した最初のオランダ船リーフデ号が漂着した土地として知られる。面積291.20平方キロメートル、人口3万6158(2020)。

[兼子俊一]

『増村隆也著『新編臼杵史』(1957・同書刊行会)』


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