航空母艦(読み)こうくうぼかん(英語表記)aircraft carrier

翻訳|aircraft carrier

精選版 日本国語大辞典 「航空母艦」の意味・読み・例文・類語

こうくう‐ぼかん カウクウ‥【航空母艦】

〘名〙 航空機を搭載し、発着できる飛行甲板や格納庫を備える大型の軍艦。第二次世界大戦後は海軍力の主体を占めるようになった。航母。空母。
中外商業新報‐大正一一年(1922)一二月二三日「新造航空母艦鳳翔(九、九〇〇噸)は全部の艤装を終了」

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デジタル大辞泉 「航空母艦」の意味・読み・例文・類語

こうくう‐ぼかん〔カウクウ‐〕【航空母艦】

航空機を搭載し、それを発着させる飛行甲板や格納庫を備えた軍艦。第二次大戦から海軍の主力を占めるようになった。空母。

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改訂新版 世界大百科事典 「航空母艦」の意味・わかりやすい解説

航空母艦 (こうくうぼかん)
aircraft carrier

航空機を搭載,格納し,艦のほぼ全長にわたる飛行甲板から航空機を発着させ,洋上において各種の航空運用を行う軍艦をいい,略して空母という。ヘリコプターを搭載し,揚陸,対潜水艦戦に従事する軍艦もあるが,これらは揚陸艦艇,巡洋艦に分類され,空母には含まれない。

航空機が実用化されてまもなく,水上機を軍艦に搭載し,上空からの偵察,攻撃に使用することが考えられた。小型水上機を海上から離水発進させ,帰投着水するとクレーンで艦上に揚収する水上機母艦が出現し,第1次世界大戦のころには,空母が誕生するまでの過渡期的存在として活躍した。しかし離着水,揚収作業は時間がかかって非効率であること,水上機はフロートをつけており陸上機に比べて鈍重で空戦能力が劣ることから,直接陸上機を発着艦させることが考えられた。1910年代には,戦艦,巡洋艦などの大型艦の前後部甲板や砲塔から直接発艦させる試みが行われるようになった。18年にイギリス海軍が巡洋艦フューリアスFuriousを改装し,艦橋の前部に発艦甲板を,後部に着艦甲板を設けたのが,航空母艦の始まりである。第1次大戦末期には,日本,アメリカ,イギリスにおいて本格的に航空母艦の建造が開始された。18年にイギリス海軍は,未成客船を改造して,世界最初の全通甲板型空母アーガスArgus(約1万4000トン)を完成させた。22年には日本海軍が鳳翔(約7500トン)を完成させたが,これは当初から空母として計画され建造されたものとしては世界で初めてのものである。しかし,この時期にはまだ航空機の性能は低く,その攻撃力にはあまり大きな期待はかけられなかった。

戦後,ワシントン条約で戦艦,巡洋艦などの主力艦の保有制限が定められ,主力艦のあるものは建造途中で空母に改造された。日本の赤城(約2万7000トン),加賀(約2万7000トン),アメリカのレキシントンLexington(約3万6000トン),サラトガSaratoga(約3万6000トン)などがそれであるが,空母の実用価値についての評価はまだ低く,主力艦隊の補助的役割しか期待されなかった。しかし航空機の急速な発達につれて,主力艦の洋上決戦に先立って,空母搭載機による遠距離先制攻撃で敵艦隊の戦力減殺を図り,艦隊決戦を有利に導こうとする構想が醸成され,これらの空母は,運用実績をもとに幾多の改造を重ねて,しだいに内容の充実した実用空母となっていった。当初から本格的実用空母として計画されたものとして,アメリカのヨークタウンYorktown(約2万トン),ワスプWasp(約1万5000トン),日本の蒼竜(約1万6000トン),飛竜(約1万7000トン)がある。イギリスは,この時期にアーク・ローヤルArk Royal(約2万2000トン)を建造しており,これは艦隊空母として画期的なものとして,以後の主力空母の原型となったといわれている。日本,アメリカ,イギリス各国とも期せずして同じ時期に,ほぼ同じ能力の空母の整備に力を入れたが,第2次大戦が始まるまでは,依然として空母は,防御火力が弱いこと,飛行甲板に損傷を被るとたちまち機能を喪失することなどの脆弱(ぜいじやく)性が危惧されて,艦隊の主役とはなりえなかった。

太平洋戦争の開戦初頭のハワイ真珠湾攻撃およびマレー沖海戦において,海軍航空部隊の集中攻撃力が従来の主力艦を圧倒することが実証され,さらにサンゴ海海戦およびミッドウェー海戦においては,空母同士の対決が海戦の勝敗を決することになり,海上戦闘様相は一変して,主砲砲戦から先制航空攻撃に移り変わり,空母は一躍戦艦に替わって海上兵力の主役に躍進した。アメリカは機動部隊の拡充と損耗対策のために,エセックスEssex型(約2万7000トン)の大量建造を促進し,これが大戦後半におけるアメリカ海軍の中心勢力となった。日本は太平洋戦争直前に翔鶴,瑞鶴を完成させ,続いて日本では初めてのハリケーンバウ,飛行甲板耐弾防御を採用した大型空母大鳳(約2万9000トン)を建造した。大戦末期には,航空機の大型重量化および大量運用のために,空母はますます大型化し,アメリカはミッドウェーMidway型(約4万5000トン),イギリスはイーグルEagle(約3万7000トン)およびアーク・ローヤル(約4万3000トン)の建造を開始したが,完成はいずれも戦後に持ち越された。日本では,大和型戦艦の3番艦を急きょ計画変更して信濃(約6万2000トン)を建造した。

 一方,これら正規空母のほかに大戦中,戦線が拡大し,空母の損耗が激しくなるにつれ,戦時補充として多数の軽空母,護衛空母が建造された。これらは大型艦船を転用したり,工程を簡素化し量産をねらった型で,正規空母と比べ速力,防御力などは劣るが,輸送船団の護衛,対潜水艦掃討用として有用であった。

戦後まもなく,長距離爆撃機と核兵器を組み合わせた戦略空軍の核攻撃力に対して,もはや空母は無力であり,かつての戦艦の運命をたどるのではないかという論議があり,一時,空母の評価が揺れ動いたことがあった。しかし空母には,(1)作戦行動半径がきわめて大きいこと,(2)航空機による攻撃は砲弾と異なって人が操縦し,目的地に正確に破壊力を運ぶことができ,また情況に応じて柔軟に対応できるので,作戦効果に信頼性が高いこと,(3)内陸部に対しても直接大きな影響力を行使できること,(4)陸上航空基地に比べて移動,分散配置できるので,敵側の攻撃に対して被害を受けにくい(脆弱性が少ない)こと,(5)海軍力としてのプレゼンス効果が絶大であることなどの優位性があり,また実際に朝鮮戦争をはじめ,戦後の局地紛争において,空母の威力が改めて認識されることになった。かくしてアメリカ海軍は1955年に,戦後の計画としては初めての超大型空母フォレスタルForrestal(約6万トン)を完成させた。この在来型推進方式の空母に加えて,61年にアメリカ海軍は世界最初の原子力推進空母エンタープライズEnterprise(約7万6000トン)を完成し,60年代におけるアメリカの戦略構想の一つとして,これらの強力な空母群を北大西洋,地中海および西太平洋に展開する計画をたてた。エンタープライズの能力は,速力35ノット,搭載機約95機,乗員数約5500名であり,航空機の種類としてはグラマンF14迎撃戦闘機,ボートA7艦上攻撃機,グラマンE2早期警戒機など多種にわたるものである。また自艦防御としてシー・スパロー対空ミサイルおよび20mm高性能機関砲を備えている。64年にエンタープライズは原子力巡洋艦2隻を伴って,シー・オービット作戦という世界周航65日,約3万カイリ無補給航海を達成し,事実上無制限の航続力を実証した。第2次大戦後はもはや圧倒的なアメリカ海軍空母部隊に対抗して洋上機動兵力を保有できる国はなくなり,加うるに空母の維持整備には莫大な経費がかかることからアメリカ以外では空母の保有隻数はしだいに減少していった。しかし70年代になってアメリカおよびイギリスにおいて,大型空母といえども1隻が支配しうる海域にはおのずから限度があり,より安価な小型空母を多数配備することにより効果的に制海目的を達成しようとする構想が生まれ,80年にイギリスはV/STOL機BAeハリアーを搭載する全通甲板型巡洋艦インビンシブルInvincible(約2万トン)を完成させ,新しい概念の軽空母として注目されている。アメリカはこの種の制海艦については,大型空母との対比において費用対効果の面でまだ結論を出すに至っていない。

 ソ連海軍は,戦後急速に海軍力を増強し,1970年代後半には従来の沿岸防備型から一変して海洋型大海軍へと躍進した。空母についても1967年にヘリコプター搭載巡洋艦モスクワMoskva(約1万6500トン)を建造し,続いて75年にはV/STOL搭載空母キエフKiev(約3万6000トン)を完成させた。

空母にとってもっとも重要なことは,限られた飛行甲板においていかに効率よく安全に発着艦を行うかにある。また発着艦中に攻撃を受けると大きな被害を受けるため極力短時間に作業を完了しなければならない。このため第2次大戦後には,船体中心線に対して10度前後の角度をもたせた着艦用の斜め飛行甲板(アングルドデッキ)を設け,発艦と着艦を分離して同時に実施することが考案された。飛行甲板と格納庫の間の搭載機移送には大型のエレベーターが用いられる。従来は船体中心線に沿って前後に配置されたが,第2次大戦後は玄側エレベーターが急速に普及した。これにより,エレベーターの状態にかかわらず発着艦が可能になり,装甲甲板に大きな穴をあける必要がなく格納庫内を広く有効に使うことができるようになった。

 飛行甲板前端を艦首外板と連接させて艦首部を完全に囲蔽して凌波性を向上させる,いわゆるハリケーンバウは今日では空母にとって常識になっている。

空母は爆撃などにより飛行甲板に損傷を被ると,飛行作業に深刻な影響が生じ,最悪の場合,瞬時にして戦闘能力を喪失する恐れがあり,また多数の搭載機および大量の航空燃料,爆発物などを艦内に格納しているので,戦闘被害による誘爆,類焼など二次被害の危険性がきわめて高いという大きな弱点をもっている。第2次大戦の戦訓から飛行甲板には耐弾防御甲鉄が施されるようになり,フォレスタル以降の現代空母では,重構造となった飛行甲板を艦の縦強度甲板とし,格納庫も主船体の中にとりこんでより強固に防御されるようになった。格納庫は,防炎扉で数区画に分割遮断することができ,強制給排気,自動消火および防爆,逃気など各種の防災対策が施されている。水線付近の玄側には多層縦隔壁を配置して,何重もの液体層により被害浸水に耐えるようにしている。弾薬庫には防爆装置,自動注排水装置などを装備し,燃料タンク周囲の不活性化,発生ガスの検知,除去,燃料配管系の玄外導設など防火対策には特に細心の注意が払われている。

ジェット機の出現により,限られた飛行甲板からの自力発進は困難になり,空母にもカタパルトが装備されるようになった。スチームカタパルトと呼ばれる大出力,高速の射出装置であり,今日では空母にとって欠かせない装備となっている。着艦機を急速に停止させるために,着艦位置付近に制動索を張り,着艦機の機体についているフックを引っ掛けて一定の張力で制動をかけながら短距離で停止させる着艦制動装置(アレスティングギヤ)が装備され,また制動に失敗したりフックにうまくかからない場合に備えて,着艦位置前方にバリケードを設けて,機体の海中落下を防ぐようにしている。

空母は,迅速な機動展開力,長期滞洋能力および強大な集中攻撃力を備えた洋上移動航空基地であり,これからも海洋軍事力の中心的存在として,大いに威力を発揮するものと考えられる。アメリカ海軍は原子力空母の増強を図っており,ソ連海軍も海洋型大海軍建設の到達目標として大型空母の整備を進めてきたが,ソ連崩壊によりその軍事ドクトリンも自衛中心に転換した。近時対艦ミサイルの脅威が増大し,空母がこれの最大の攻撃目標となることから,空母のもつべき機能,大きさと保有隻数の組合せについて議論が盛んである。一方,地域的制海,陸戦支援などの限定的航空運用を目的として,より少ない経費で,ある程度作戦能力の大きい固定翼機を運用しようとすることから出現したのが,V/STOL搭載空母であり,ロシア,イギリスをはじめイタリア,スペインも建造を進めており,その評価が注目されるところである。

 これからの空母は,その能力と経済性の相克のうちに,原子力空母とV/STOL空母を中心に推移するであろうが,いずれにしても急速な航空機,ミサイルおよび電子兵器の進歩に遅れない対応が一層強く要求されるであろう。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「航空母艦」の意味・わかりやすい解説

航空母艦
こうくうぼかん
aircraft carrier

略して空母という。固定翼機を搭載運用する目的で設計され、それに必要な施設、装備を備え、船体上に全長にわたり発着艦用の全通飛行甲板を有する軍艦。初期には、飛行甲板の有無にかかわらず、飛行機の搭載運用を主目的とした艦を航空母艦と称した。全通飛行甲板を有しても、回転翼機(ヘリコプター)のみを搭載し、対潜、揚陸などを任務とする艦は、航空母艦とはいわない。船体と主機関は大型巡洋艦に類似し、上部に格納庫と飛行甲板を設け、飛行機の発艦はカタパルトまたは滑走により、着艦は着艦制動装置を使って行う。現在のあらゆる軍艦のなかでもっとも大型で、原子力弾道ミサイル潜水艦に次ぐ威力を有し、多様な攻撃任務を果たしうる大きな能力が特質である。

[阿部安雄]

沿革

1910~11年、アメリカで巡洋艦に甲板を仮設して発着艦実験をしたのが、軍艦に飛行機を搭載し運用した最初の試みである。第一次世界大戦中にイギリスは、発艦甲板を備え艦上発進のみ可能な艦を使用し、ついで大型巡洋艦の前後部に発艦および着艦甲板を設け、後の航空母艦に近い艦をつくった。さらに1918年、第一次世界大戦終了直後に、未成客船を改造し船体上に格納庫と全長に平坦(へいたん)な飛行甲板を設けた本格的航空母艦アーガスArgasを完成し、続いて未成戦艦改造のイーグルEagleを竣工(しゅんこう)させた。アーガスの建造に刺激され、日本は1922年(大正11)に鳳翔(ほうしょう)、アメリカはラングレーLangleyを建造し、両国の空母第一艦となった。

 アーガスは飛行甲板上に突出した構造物がまったくなく、イーグルは飛行甲板右舷側(うげんそく)に艦橋構造物と煙突を設けており、前者の型式を平甲板型、後者を島型といい、以後の空母はいずれかの方式を採用した。初期の空母は、基準排水量7000~1万5000トンの新造小型艦と、ワシントン海軍軍縮条約に基づき未成主力艦より改造された2万2000~3万3000トンの大型艦に分かれて発達し、1層の飛行甲板、直立煙突方式のほかに、2層または3層の多層飛行甲板方式、舷側から外側斜め下方に向いた煙突の方式、飛行甲板下両舷に煙路を導き艦尾部側方に開口させる方式などが試みられた。

 初期の試行錯誤を経て1930年ごろから第二次世界大戦直前までの期間には、2万トン前後のやや大型艦、1万5000トン程度の中型艦、1万トン級の小型艦が建造された。飛行甲板はすべて1層となり、小型艦を除き島型方式が広く採用された。アメリカは1層の広い格納庫を有する開放式格納庫方式としたのに対し、日本とイギリスは2、3層の密閉式格納庫方式を採用し、煙突はアメリカとイギリスが上方直立式を、日本は舷側上方より湾曲して外下方に開口させる方式を用いた(のちに大鳳(たいほう)で外方に傾斜した直立煙突を採用)。この時期に建造された代表艦としては、イギリスのアーク・ロイヤルArk Royal、アメリカのヨークタウン級Yorktown Class、日本の蒼龍(そうりゅう)、飛龍(ひりゅう)がある。

 第二次世界大戦前は、空母は戦艦部隊の支援・補助兵力とみなされていたが、大戦で、日本の空母機動部隊が真珠湾攻撃に成功し、マレー沖海戦で日本陸上攻撃機が洋上航行中のイギリス主力艦を撃沈して以来、戦艦にかわって海軍の主戦兵力の地位を占めるに至った。

 第二次世界大戦中に建造された主力空母は、2万3000~3万トンの大型艦で、それぞれ前述艦の拡大・改良・防御強化型であるイギリスのイラストリアス級Illustrious Classとその改型、アメリカのエセックス級Essex Class、日本の翔鶴(しょうかく)型などが完成し活躍したが、大戦後期にはさらに大型の艦も出現した。24隻も大量建造され、1944年以来対日戦の主力となったエセックス級は、初めて舷外エレベーターを採用し、艦上における飛行機運用能力を向上させ防御上の弱点を軽減した。イラストリアス級は、爆弾防御用に、初めて飛行甲板に装甲鈑(はん)を装着し、日本は改翔鶴型の大鳳で、アメリカはエセックス級を拡大改良したミッドウェー級Midway Classでこれに追随した。

 第二次世界大戦後は搭載機がジェット機になり、この発着艦のために油圧式さらには蒸気式カタパルト、斜め飛行甲板、鏡式着艦指導装置、ついでフレネル・レンズ式着艦指導灯などが開発され、これらの採用により空母は著しく大型化するに至った。アメリカは、海軍の主力として、敵艦隊および陸地攻撃、さらには戦略核攻撃を目的とした攻撃空母(CVA)の整備に着手し、1955年に5万9060トン、搭載機数90~100機の超大型空母フォレスタルForrestalを完成し、以後1968年までに同型艦およびその改型を7隻建造した。この間の1961年に初の原子力空母エンタープライズEnterpriseが完成、成功を収めたが、高価な建造費のためただちに後続艦の建造に至らず、蒸気タービン推進艦2隻建造ののち、1975年に第2艦のニミッツNimitzが完成した。以後、アメリカ空母はすべて原子力推進とされ、2010年時点でニミッツの同型艦9隻が竣工し、改型のジェラルド・R・フォード級Gerald R. Ford Classが建造中、2隻が計画中である。イギリスとフランスは、海上交通路の制空権確保、対潜攻撃、哨戒(しょうかい)、局地上陸戦支援に重点を置いて、2万7000~4万トンの中型および大型艦を建造した。ソ連も艦隊防空、対艦・対潜攻撃、局地攻撃などを目的とした、4万5900トンのトビリシTbilisi(後にアドミラル・クズネツォフAdmiral Kuznetovと改名)を建造した。

[阿部安雄]

現状

アメリカのミッドウェー級およびフォレスタル以降の超大型空母は、一時期、戦略核攻撃任務が与えられていたが、ポラリス潜水艦の配備によりこの任を解かれ、戦術攻撃を主任務にしている。空母機動部隊は攻撃力、防御力ともに強力で、核攻撃(核爆弾の衝撃や放射能など)に抗して安全度が高く、海上、陸上の任意の目標に対して核・非核両攻撃が可能で用兵上の融通性に富み、核兵器、ICBM、対艦ミサイルなどが極度に発達した今日においても、その価値はより高まっている。しかし、建造、維持に高額の経費を要するので、アメリカのみが大型、超大型空母を保有している。ソ連はこれに対抗して本格的な空母トビリシを1991年に完成、ロシアに所属したが、カタパルトをもたず、発艦にはおもに飛行甲板前部のスキージャンプ勾配(こうばい)を用いる。アメリカでは、対潜支援空母が老朽化のため逐次退役する状況に対応し、攻撃空母(CVA)は1972年以降順次、対潜機搭載・運用能力が賦与され、1975年までにすべて汎用(はんよう)空母(CV)に種別、任務を変更した。通常動力推進方式の艦は2008年までに退役し、すべて原子力推進艦となった。イギリスは経済上の理由で長らく本格的な航空母艦建造を断念していたが、2009年に満載排水量約6万トンのクイーン・エリザベス級Queen Elizabeth Class1隻を起工、1隻を計画中である。フランスは第二次世界大戦後に新造した艦の代換である、中型の原子力空母シャルル・ド・ゴールCharles de Gaulle(3万7085トン)を2001年に完成し、さらにクイーン・エリザベス級に類似の艦を計画中である。中国は満載排水量5万~6万トンの艦2隻の建造を公表した。

 1970年代に、イギリスがV/STOL(ブイストール)機(垂直・短距離離着陸機)のシー・ハリアー戦闘・攻撃機を実用化したため、この機種のみの搭載艦建造においては、固定翼機の発着艦に欠かせぬカタパルト、着艦制動装置、着艦指導灯、斜め飛行甲板などを必要とせず、したがって建造が容易で、船型の小型化も可能となった。この艦種は、洋上での艦隊防空、敵戦闘機の行動の及ばぬ地域での攻撃任務に有効と考えられる。1975年完成のソ連のキエフ級Kiev ClassがV/STOL機搭載艦の最初のもので、続いてイギリスのインビンシブル級Invincible Classが1980年に竣工し、フォークランド島沖海戦で有用性を立証した。ついで1980~90年代にイタリア、スペイン、タイがやや小型の同種艦を1隻ずつ建造した。いずれもV/STOL機および対潜・対艦ミサイル攻撃の早期警戒用ヘリコプターを混載しており、状況により両機種の搭載比率を変更して使用する。

 キエフ級(全艦退役)と改型のバクーBaku(後にアドミラル・ゴルシコフAdmiral Gorshkovと改名)は、搭載機数が多く、強力な対艦・対潜・対空兵装を有するので3万6000~4万トンと大型だが、ほかのロシア艦は1万~1万7000トンの小型艦で、現代版の軽空母といえよう。2000年代には航空機運用能力向上を図って各国で艦型が増大した。イタリアは輸送施設も有し多任務艦的運用を重視した2万2290トンのカブールCavourを2008年に完成、インドは満載排水量3万7500トンのビクラントVikrantを建造中である。

[阿部安雄]

『堀元美・江畑謙介著『新・現代の軍艦』(1987・原書房)』『『世界の艦船第451号 特集 空母のメカニズム』(1992・海人社)』『坂本明著『大図解 世界の空母』(1993・グリーンアロー出版社)』『『世界の空母ハンドブック』(1997・海人社)』『『世界の艦船第552号 特集 新時代の空母』(1999・海人社)』『『世界の空母』(1999・スコラ)』『『世界の艦船第682号 特集 現代の軽空母』(2007・海人社)』『『世界の艦船増刊第80集 航空母艦全史』(2008・海人社)』『『福井静夫著作集3 世界航空母艦物語』(2008・光人社)』『『福井静夫著作集7 日本航空母艦物語』(2009・光人社)』『『世界の艦船第724号 特集 世界の空母2010』(2010・海人社)』『Stephen SaundersJane's Fighting Ships 2010-2011(2010, Jane's Information Group)』


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百科事典マイペディア 「航空母艦」の意味・わかりやすい解説

航空母艦【こうくうぼかん】

略して空母。多数の飛行機を積載し,発進・着艦用の広い甲板(こうはん)をもつ軍艦。飛行甲板上に全く障害物のないフラッシュデッキ型と,司令塔,砲塔などの上部構造物(片舷(へんげん)または張出しに構築)をもつアイランド型がある。第1次大戦後期,英国で巡洋艦の前・後部甲板を連絡し飛行機の滑走発進を可能にしたのに始まり,日・米・英など主要海軍国では,以後,商船や戦艦を改造し,また新造の多くの空母を建造(新造としては1922年の日本海軍の鳳翔が世界初),第2次大戦からは海戦の主力となった。戦後は艦上機のジェット化でカタパルト発進が必要となり,機の重量増大のため甲板の強度を増し,また発着,一般指揮などに対する電子機器装備が完備された。現代の空母は,海上兵力の主力として敵艦隊や陸上の攻撃を目的とする攻撃型(排水量5万〜8万トン)と,対潜支援型(3万〜4万トン)とに分ける。米国の原子力空母エンタープライズは前者の代表的なものである。空母の構造,艤装(ぎそう)は軍艦としてもきわめて特殊で,飛行機の格納,整備などのため広い空間を要し,水密区画が少なくなるなどから特に構造強度に留意し,その他重量配分,乾舷が高いための復原性,着艦時の動揺の周期などにも注意を払って設計される。
→関連項目海軍戦艦潜水艦装甲ヘリコプター母艦補助艦艇大和・武蔵

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「航空母艦」の意味・わかりやすい解説

航空母艦
こうくうぼかん
aircraft carrier

飛行機を発着艦させ,格納および補給整備などができるように建造された軍艦。空母と略称される。格納庫が設けられ,飛行機の発着に便利なように,最上甲板を平坦な飛行甲板とし,艦橋や煙突などは舷側にはり出している。短距離での発着艦を容易にするため,艦を風上に向けて甲板上の対気速度を上げ,飛行甲板と同一平面をなすカタパルト(射出装置)で発艦させ,着艦の際は飛行機に装備されている格納式フックを甲板の左右方向に張られたワイヤロープにかけて停止させる。管制室は,飛行甲板の片方の舷側の上部構造内に位置している。
1910年11月,アメリカ合衆国が巡洋艦『バーミンガム』の甲板上に仮設したプラットフォームから飛行機を離艦させることに成功,翌 1911年1月18日にはサンフランシスコ湾で,戦艦『ペンシルバニア』の後甲板上に設けたプラットフォームに,ワイヤロープを着艦制動に利用して飛行機を着艦させ,次いで飛び立たせることに成功した。イギリス海軍も空母の実験を行ない,第1次世界大戦中に,商船を改造した初の本格的空母『アーガス』を完成させた。1922年3月,給炭艦を改造し名前も『ラングリー』と改めたアメリカ初の空母が艦隊に加わった。1922年12月に就役した日本の空母『鳳翔』は,初めから空母として設計・建造された世界初の軍艦だった。空母が最初に戦闘で使われたのは第2次世界大戦の序盤であった。1941年12月7日(日本時間 8日)に行なわれた日本の艦載機による真珠湾攻撃は,空母の潜在能力を劇的に示し,以後空母は海軍の主役となった。第2次世界大戦後に主流となったジェット機は従来より重く,加速は遅く,着艦速度は速いという問題をかかえていたが,イギリスは,蒸気を動力としたスチーム・カタパルト,進行方向に対して斜めを向いた飛行甲板(アングルド・デッキ),ミラー着艦信号システムによって,これらの問題を解決した。1960年9月24日,アメリカは初の原子力空母『エンタープライズ』を就役させた。その後,潜水艦探知のための大量の電子機器を搭載した軽空母や強襲揚陸用のヘリ空母など,さまざまな型式が生まれている。

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世界大百科事典(旧版)内の航空母艦の言及

【軍用機】より

…一方,海上戦闘について見ると,第2次大戦開始以前においては,海上決戦の勝敗は戦艦同士の巨砲の射ち合いで決するものと考えられており,各国は競って巨砲を搭載した大型戦艦を建造した。しかし第2次大戦が始まってみると,このような決戦はほとんど見られず,かわって航空母艦を中心とする機動艦隊同士の航空決戦が行われることになった。これは軍用機の速度,航続距離,武器搭載量等の性能が著しく向上した結果,陸上基地や航空母艦から飛び立つ爆撃機や攻撃機が,発進点より数百kmも離れた所で敵戦艦を捕捉し,これを爆撃や雷撃によって撃沈するということが予想外に容易となったためである。…

※「航空母艦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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