芦田 均(読み)アシダ ヒトシ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「芦田 均」の解説

芦田 均
アシダ ヒトシ


肩書
第47代首相,日本民主党総裁

生年月日
明治20年11月15日

出生地
京都府福知山市

学歴
東京帝大仏法科〔明治45年〕卒

学位
法学博士

経歴
外務省に入省、ロシア・フランス・トルコ駐在を経て、昭和7年退官。同年衆院議員に転じ、立憲政友会に属し、以後11回連続当選。戦後自由党の結成に参加するが、22年退党して民主党(旧)を結成、総裁に就任。23年片山内閣のあとをうけ、社会党・国協党と連立して内閣を組織するが、同年10月昭電疑獄事件が起こり、総辞職。のち民主党(新)最高委員、自民党顧問などを歴任文筆にすぐれ、著書に「世界大戦後の欧州外交史」「君府海峡通航制度史論」「第二次世界大戦外交史」などがある。また「芦田均日記」は戦後政治史の重要資料として知られる。

没年月日
昭和34年6月20日

家族
父=芦田 鹿之助(代議士)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「芦田 均」の解説

芦田 均
アシダ ヒトシ

昭和期の政治家 首相;日本民主党総裁。



生年
明治20(1887)年11月15日

没年
昭和34(1959)年6月20日

出生地
京都府福知山市

学歴〔年〕
東京帝大仏法科〔明治45年〕卒

学位〔年〕
法学博士

経歴
外務省に入省、ロシア・フランス・トルコの駐在を経て、昭和7年退官。同年衆院議員に転じ、立憲政友会に属し、以後11回連続当選。戦後自由党の結成に参加するが、22年退党して民主党(旧)を結成、総裁に就任。23年片山内閣のあとをうけ、社会党・国協党と連立して内閣を組織するが、同年10月昭電疑獄事件が起こり、総辞職。のち民主党(新)最高委員、自民党顧問などを歴任。文筆にすぐれ、著書に「世界大戦後の欧州外交史」「君府海峡通航制度史論」「第二次世界大戦外交史」などがある。また「芦田均日記」は戦後政治史の重要資料として知られる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「芦田 均」の解説

芦田 均 (あしだ ひとし)

生年月日:1887年11月15日
昭和時代の政治家。首相;日本民主党総裁
1959年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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