花山天皇(読み)かざんてんのう

精選版 日本国語大辞典 「花山天皇」の意味・読み・例文・類語

かざん‐てんのう クヮザンテンワウ【花山天皇】

(古くは「かさんてんのう」) 第六五代天皇。冷泉天皇の第一皇子。母は藤原伊尹の娘懐子。名は師貞。永観二年(九八四)即位し、在位一年一〇か月。女御、藤原忯子の死を悲しむのあまり、藤原兼家に謀(はか)られて退位。出家して東山花山寺にはいる。和歌、画をよくし、「拾遺和歌集」「拾遺抄」「後十五番歌合」の撰者ともいわれる。安和元~寛弘五年(九六八‐一〇〇八

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デジタル大辞泉 「花山天皇」の意味・読み・例文・類語

かざん‐てんのう〔クワザンテンワウ〕【花山天皇】

[968~1008]第65代天皇。在位984~986。冷泉れいぜい天皇の第1皇子。名は師貞もろさだ。女御の死を悲しむあまり、藤原兼家らに欺かれて退位。出家して花山寺(元慶寺)に入る。歌人としても有名で「花山院集」がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「花山天皇」の意味・わかりやすい解説

花山天皇 (かざんてんのう)
生没年:968-1008(安和1-寛弘5)

第65代に数えられる天皇。在位984-986年(永観2-寛和2)。諱(いみな)は師貞(もろさだ),僧名入覚。花山院とも。冷泉天皇の第1皇子。母は藤原伊尹(これただ)の娘懐子(かいし)。969年(安和2)立太子。以後叡山・熊野等を巡歴,修行を積み,正暦年間(990-995)に帰京,東院(花山院)に住んだ。1008年2月8日没。深夜に宮中を脱出,東山の花山寺(現,元慶(がんぎよう)寺)に入り剃髪するという劇的な退位の真相は,孫の懐仁親王(一条天皇)の即位を急いだ藤原兼家一門が,女御忯子の死に乗じて僧厳久などを使い,天皇に世間無常を吹きこむとともに,陰に陽に政治的圧力を加えたためと見られる。その後の生涯は数奇を極めて,奔放な女性関係のほか,修験者としても名高く,和歌・絵画・造園・建築・工芸など多方面に才能を発揮し,〈風流者〉と称された。和歌では《拾遺和歌集》《後十五番歌合》の撰者とされるほか,東宮時代から大小多くの歌合を主宰し,歌壇の一中心をなした。現存和歌は〈世の中のうきもつらきもなぐさめて花のさかりはうれしかりけり〉(《玉葉集》巻十四)をはじめ120余首に達する。家集に《花山院御集》が,また紀行とおぼしい《花山法皇御修記》(《太子伝玉林抄》所引)もあった(ともに今は散逸)。粉河・熊野巡歴のことなどから,後世では西国巡礼の祖とされる。その墓所は,記録には紙屋川のほとり,法音寺の北に葬ったとあり,現在,陵墓は〈紙屋上陵(かみやのほとりのみささぎ)〉と称され,京都市北区にある。ほかに兵庫県,石川県など各地にその墓所と称するものが残る。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「花山天皇」の意味・わかりやすい解説

花山天皇
かざんてんのう
(968―1008)

第65代天皇(在位984~986)。冷泉(れいぜい)天皇第1皇子。母は太政(だいじょう)大臣正二位藤原伊尹(これただ)の女(むすめ)懐子(かいし)。諱(いみな)は帥貞(もろさだ)。円融(えんゆう)天皇の禅を受けて即位。藤原頼忠(よりただ)が関白となったが、外戚(がいせき)でなかったことから実権をもたず、外戚の藤原義懐(よしちか)と惟成(これしげ)を重用饗宴(きょうえん)の禁制を布告して宮廷貴族社会の統制、引締めを図り、902年(延喜2)に出されて以来布告されていなかった荘園(しょうえん)整理令を久々に布告するなど、革新的な政治路線を打ち出した。この荘園整理令は、受領(ずりょう)らの間で高まってきていた荘園整理の気運を政策化したもので、以後頻出する整理令の嚆矢(こうし)であった。花山朝においてはかく政治改革が企図されたが、後宮の寵姫(ちょうき)忯子(きし)(藤原為光(ためみつ)の女)の死を悲しんでいるおり、藤原道兼(みちかね)の偽計に陥り出家し、2年足らずで次の一条朝となった。退位後は仏事や風流をこととし、和歌をよくした。『拾遺和歌集』の撰者(せんじゃ)に擬せられ、『花山院御集』も存したが散逸。996年(長徳2)誤解により藤原伊周(これちか)の従者に射られ、これがもとで伊周は大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷された。御陵は京都市衣笠(きぬがさ)の紙屋(かみや)川上陵。

[森田 悌]

『今井源衛著『花山院の生涯』(1976・桜楓社)』『森田悌著『王朝政治』(1979・教育社)』

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百科事典マイペディア 「花山天皇」の意味・わかりやすい解説

花山天皇【かざんてんのう】

平安中期の天皇。在位984年−986年。父は冷泉天皇,母は懐子。諱(いみな)は師貞(もろさだ)。984年即位。986年皇太子懐仁(やすひと)親王の即位を急ぐ外祖父藤原兼家らの陰謀により花山寺で出家,懐仁(一条天皇)が即位した。出家後は播磨国に赴いて書写山円教寺の性空(しょうくう)に結縁,さらに比叡山,熊野などに赴き仏道修行に励んだ。しかし帰京後は色好みの名を立てられ,藤原為光女に通ったことから,藤原伊周(これちか)から襲撃されるという事件が起きている。天皇は〈風流者〉と称されるように芸能に優れ,《拾遺和歌集》の撰にもかかわったとされる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「花山天皇」の意味・わかりやすい解説

花山天皇
かざんてんのう

[生]安和1(968).10.26. 京都
[没]寛弘5(1008).2.8. 京都
第 65代の天皇 (在位 984~986) 。名は師貞。冷泉天皇第1皇子,母は藤原伊尹の娘懐子。永観2 (984) 年円融天皇の譲位で践祚,次いで即位。在位1年 10ヵ月,外戚藤原義懐 (伊尹の子) と右大臣藤原兼家の勢力争いの余波を受けて花山寺で落飾,入覚と号し,花山法皇と称した。出家後,諸寺を遍歴し仏道を修めた。絵や和歌に巧みで,『拾遺和歌集』は同法皇の撰と称せられる。和歌は『花山院集』のほか諸集に収められており,また『古今和歌集』を宸筆した。陵墓は京都市北区衣笠北高橋町の紙屋上陵 (かみやのほとりのみささぎ) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「花山天皇」の解説

花山天皇 かざんてんのう

968-1008 平安時代中期,第65代天皇。在位984-986。
安和(あんな)元年10月26日生まれ。冷泉(れいぜい)天皇の第1皇子。母は藤原懐子(かいし)。円融天皇の譲位をうけ17歳で即位。右大臣藤原兼家(かねいえ)・道兼(みちかね)父子にはかられ,在位1年余で退位し,元慶(がんぎょう)寺(花山寺)で出家した。和歌にすぐれ「拾遺和歌集」を編集したという。寛弘(かんこう)5年2月8日死去。41歳。墓所は紙屋上陵(かみやのほとりのみささぎ)(京都市北区)。諱(いみな)は師貞(もろさだ)。法名は入覚。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「花山天皇」の解説

花山天皇
かざんてんのう

968.10.26~1008.2.8

在位984.8.27~986.6.23

冷泉天皇の第1皇子。名は師貞(もろさだ)。母は藤原伊尹(これただ)の女懐子。969年(安和2)円融天皇践祚の日に2歳で立太子し,17歳で践祚。しかし在位1年10カ月で突然内裏を抜けだし,出家した。これは一条天皇の即位を急いだ藤原兼家(かねいえ)の陰謀といわれる。その後は播磨国書写山の性空(しょうくう)などのもとで仏道に励み,また和歌などの諸芸に多才ぶりを示した。「拾遺和歌集」の撰者といわれる。

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367日誕生日大事典 「花山天皇」の解説

花山天皇 (かざんてんのう)

生年月日:968年10月26日
平安時代中期の第65代の天皇
1008年没

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世界大百科事典(旧版)内の花山天皇の言及

【円教寺】より

…兵庫県姫路市の書写山にある天台宗の寺。山号は書写山。西国三十三所27番札所。開山の性空(しようくう)は,多年九州の霧島山,背振(せふり)山にこもって修行した法華持経者で,966年(康保3)当山に移って庵居した。985年(寛和1)播磨介藤原季孝が帰依して法華三昧堂を建立し,調直僧12口をおき加徴知識米(かちようちしきまい)300石を寄進してからにわかに活況を呈し,花山法皇は986年7月と1002年(長保4)3月の2度にわたって御幸,987年(永延1)院の御願寺となり,さらに僧8口をおき,講堂が建立された。…

【元慶寺】より

…陽成天皇誕生のとき母后藤原高子が創建し,877年(元慶1)遍昭の奏請で定額寺に列し,年分度者(ねんぶんどしや)3人が置かれた。986年(寛和2)花山天皇は藤原兼家の計略で当寺に入り落飾,法名を入覚と号した。公家恒例読経の21寺に数えられて寺門繁栄したが,たびたびの火災でしだいに衰微した。…

【西国三十三所】より

…近畿地方に散在する,観音信仰で有名な33ヵ所の霊場を,順番を追って参詣する巡礼コースで,西国三十三所観音霊場巡(順)礼とよぶ。これらの霊場は,巡礼たちが参詣のしるしに納札(のうさつ)をすることから,札所(ふだしよ)とも称される。観音の霊場として有名な熊野那智の青岸渡寺を第1番とし,奈良,京都の古寺をはじめとする近畿地方一円を巡って,岐阜県谷汲の山中にある33番華厳寺に終わる,長途の巡礼路である。霊場の33という数は,《法華経》の〈観世音菩薩普門品第二十五〉に説くところによる。…

【拾遺和歌集】より

…《拾遺集》と略称する。撰者は明らかでないが,花山院(花山天皇)が藤原長能(ながよし),源道済(みちなり)ら近臣の歌人たちの助力を得て撰集したものか。成立年時も明確でなく,1007年(寛弘4)までに成ったと推定され,花山院晩年の和歌愛好の産物らしい。…

【髑髏】より

…落語《野晒》もこの類である。また,花山天皇の頭痛は前世の時のどくろが岩の間にあって雨でふくらむ岩に圧迫されるためと陰陽師安倍晴明が占い,それを探し出して岩から取り除いたら頭痛は治った(《古事談》)。平清盛は内庭に多数のされこうべが集まって14,15丈もある巨大などくろと化したものとにらみ合い,これを退散させている(《平家物語》)。…

※「花山天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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