荒尾精(読み)あらおせい

改訂新版 世界大百科事典 「荒尾精」の意味・わかりやすい解説

荒尾精 (あらおせい)
生没年:1859-96(安政6-明治29)

明治期の陸軍軍人尾張藩士荒尾義済の長男。明治初年,東京に転居,外国語学校に学んだが軍人を志して中退教導団をへて1882年陸軍士官学校を卒業。歩兵第13連隊(熊本),参謀本部をへて,86年清国に派遣された。当時,上海で売薬業を営んでいた岸田吟香親交を結び,そこを拠点に中国各地調査を行い,さらに日本の中国への勢力拡大をはかるため,90年上海に日清貿易研究所(東亜同文書院の前身)を設立,日本青年200余名の教育にあたり,日清戦争に際しては通訳諜報活動に従事させた。93年大尉で予備役,96年紳商協会設立のため台湾に渡ったが,ペストにかかり台北で客死。著書に《対清意見》などがある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「荒尾精」の意味・わかりやすい解説

荒尾精
あらおせい
(1859―1896)

明治時代の軍人、中国問題研究家。安政(あんせい)6年6月25日尾張(おわり)藩(愛知県)藩士の家に生まれる。陸軍士官学校卒業後、隊付将校を経て参謀本部に勤務。中国問題に関心を抱き興亜(こうあ)論を唱え、1886年(明治19)清(しん)国に渡り、3年間余り各地を実地調査した。日清貿易の振興を目ざし、1890年根津一(ねづはじめ)とともに、上海(シャンハイ)に日清貿易研究所を設立して人材養成にあたった。日清戦争後、台湾・南清視察の途上、明治29年10月30日台湾で病死。

[鳥海 靖]

『小山一郎著『東亜先覚荒尾精』(1938・東亜同文会)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「荒尾精」の解説

荒尾精

没年:明治29.10.30(1896)
生年:安政6.6.25(1859.7.24)
明治期の陸軍軍人。尾張(名古屋)藩士荒尾義済の長男。青年期から清国に関心を抱く。陸軍教導団,同士官学校卒。明治19(1886)年参謀本部から約3年,内情調査のため清国に派遣。漢口(武漢市)を拠点に大陸浪人らと共に諜報活動にたずさわり,日清提携をスローガンに,両国の貿易振興を主張。貿易業務ができる人材養成のため,23年日清貿易研究所を上海に設立,日本から研究生約150名を率いて渡清する。卒業生の約半数は日清戦争時に陸軍の通訳,諜報員として活動した。同年,大尉に進む。<参考文献>井上雅二『巨人荒尾精』,黒竜会編『東亜先覚志士記伝』下

(山村義照)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荒尾精」の解説

荒尾精 あらお-せい

1858-1896 明治時代の軍人。
安政5年1月生まれ。明治19年陸軍参謀本部から清(しん)(中国)に派遣され,各地の調査にあたる。大尉で退役。23年上海に日清貿易研究所を設立し,人材を養成。日清戦争後,紳商協会創立のため台湾にわたるが明治29年10月30日現地で病没。39歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。陸軍士官学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android