荻原重秀(読み)おぎわらしげひで

精選版 日本国語大辞典 「荻原重秀」の意味・読み・例文・類語

おぎわら‐しげひで【荻原重秀】

江戸中期の幕府勘定奉行通称彦四郎。五代将軍綱吉に登用され、貨幣改鋳を行なう。のち、私利をむさぼった責任新井白石弾劾されて失脚。万治元~正徳三年(一六五八‐一七一三

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デジタル大辞泉 「荻原重秀」の意味・読み・例文・類語

おぎわら‐しげひで〔をぎはら‐〕【荻原重秀】

[1658~1713]江戸中期の幕臣。勘定奉行。通称、彦次郎。貨幣改鋳を行い、一時的に幕府の財政難を救った。私利をむさぼったとされ、新井白石の弾劾により失脚。

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改訂新版 世界大百科事典 「荻原重秀」の意味・わかりやすい解説

荻原重秀 (おぎわらしげひで)
生没年:1658-1713(万治1-正徳3)

江戸中期の幕臣,政治家。通称五左衛門のち彦次郎。曾祖父武田遺臣。徳川氏に仕え,父種重は蔵米200俵をうける勘定所下役。彼も勘定所下役から出発,延宝(1673-81)の畿内総検地で頭角をあらわし,将軍綱吉初政に断行された総代官の会計検査に特命されて当たったといわれ,1687年(貞享4)に勘定頭差添役(のちの勘定吟味役)に進み,95年(元禄8)には彼の建議により,いわゆる元禄の改鋳がおこなわれ(元禄金銀),96年には勘定頭に栄進,以降1712年(正徳2)までその職にあって幕府の財政問題を主宰した。彼の改鋳は悪貨を出して改鋳差益金(出目)を稼ぐとともに,物価混乱させたと非難する者も少なくないが,(1)元禄期の拡大された経済に見合う通貨を供給する,(2)金銀両通貨圏のバランスを取り直すための両通貨の品位の調節という積極面を見落とすことはできない。新井白石一派からは不俱戴天の敵とねらわれ,12年の銀座商人摘発事件に連座して罷免され獄死
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朝日日本歴史人物事典 「荻原重秀」の解説

荻原重秀

没年:正徳3.9.26(1713.11.13)
生年:万治1(1658)
江戸前・中期の幕臣。通称は五左衛門,彦次郎。幕臣十助種重の次男。延宝2(1674)年勘定となり,翌年廩米150俵を給さる。天和3(1683)年勘定組頭に進み,100俵加増。貞享4(1687)年総代官の会計検査を命じられ,その年勘定頭差添役(のちの勘定吟味役)に昇進し,300石加増,廩米を改められて550石の地方知行取となる。元禄2(1689)年200石,8年1000石加増。翌9年には勘定頭に進み,250石を加増され,従五位下近江守に叙任。さらに11年500石,宝永2(1705)年700石,7年500石を加増され,計3700石の知行取となる。徳川綱吉時代の後半から徳川家宣時代にかけて幕府財政を主導したが,正徳2(1712)年新井白石の弾劾により失脚。貨幣改鋳や貿易政策など,彼の商品経済への積極的な対応は評価できるが,その反面商人との結びつきにより腐敗が生じたことは否定できない。

(深井雅海)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「荻原重秀」の意味・わかりやすい解説

荻原重秀
おぎわらしげひで
(?―1713)

江戸中期の幕府役人。1674年(延宝2)勘定役に任用され、5代将軍徳川綱吉(つなよし)の代に至りその才能を認められて躍進。87年(貞享4)勘定頭差添(さしそえ)役(後の勘定吟味(ぎんみ)役)に任ぜられ、96年(元禄9)には勘定奉行(ぶぎょう)に昇り、従(じゅ)五位下近江守(おうみのかみ)に叙任。俸禄(ほうろく)もしばしば加増されて150俵から3700石に至り、勘定所の独裁者的存在となった。重秀は幕府財政の窮乏を通貨の悪鋳、増発によってしのぐ政策を95年から実施し、ことに1710~11年(宝永7~正徳1)悪鋳を連続したので、経済界は混乱した。そのため新井白石(あらいはくせき)の懸命の糾弾を受け、12年失脚した。その死後、莫大(ばくだい)な賄賂(わいろ)を受けていたことが発覚し、その子乗秀は3000石を没収された。

[辻 達也]

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百科事典マイペディア 「荻原重秀」の意味・わかりやすい解説

荻原重秀【おぎわらしげひで】

江戸中期の幕臣。1696年勘定頭(のちの勘定奉行)となる。1695年勘定頭差添役(のちの勘定吟味役)時代に建言して貨幣改鋳(元禄金銀)による財政難の救済を行う。しかし悪貨増鋳から経済混乱を起こし,世の反感をかい,新井白石の弾劾等で1712年失脚し,翌年没した。現在では元禄期(1688年―1704年)経済拡大に見合う通貸を供給した点,金銀両通貨の品位を調節した点など,彼の改鋳政策を再評価する声がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「荻原重秀」の意味・わかりやすい解説

荻原重秀
おぎわらしげひで

[生]万治1(1658).甲州?
[没]正徳3(1713).9.25. 江戸
江戸時代中期,元禄頃に活躍した幕臣。財政的才能を5代将軍徳川綱吉に認められて勘定所下役から勘定組頭,さらに元禄9 (1696) 年勘定奉行にまで出世した。元禄期の幕府財政は窮乏し,それの打開のため貨幣改鋳を行い,その出目 (でめ) によって財政危機を乗切ろうとした。一時的には幕府財政も潤ったが,品質の悪い貨幣出現のため経済の混乱を招いた。結局,幕府財政も物価騰貴のため再び窮乏するが,重秀に対する将軍の信頼は大きく,新井白石の,貨幣改鋳で私腹を肥やした重秀糾弾も容易ではなかった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「荻原重秀」の解説

荻原重秀
おぎわらしげひで

1658~1713.9.26

江戸中期の幕閣。勘定奉行。種重の次男。母は横松氏の女。通称五左衛門・彦次郎。近江守。法名日秀。1674年(延宝2)勘定衆に加わり,83年(天和3)勘定組頭,87年(貞享4)勘定頭3人の罷免で,勘定頭差添役(のちの勘定吟味役)になり,96年(元禄9)勘定奉行に昇進。5代将軍徳川綱吉の後半の幕府財政を一手に握り,貨幣改鋳(元禄金銀)による差額を幕府の益金とし,長崎貿易の代物替を増額して運上金を徴収し,全国の酒造家に50%の運上銀をかけるなど,幕府歳入の増加をはかった。6代家宣の代にも財務を担当して悪貨鋳造(宝永金銀)を行ったが,1712年(正徳2)新井白石の3度にわたる弾劾で失脚。

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旺文社日本史事典 三訂版 「荻原重秀」の解説

荻原重秀
おぎわらしげひで

1658〜1713
江戸中期の勘定奉行
将軍徳川綱吉のとき,貨幣改鋳(元禄金銀)による幕府財政救済を建言し,財政好転の功で1696年勘定奉行に昇進,29年間在職。その間,貨幣の品質引下げや増発により財政難を表面上一時好転させたが物価の高騰ももたらした。将軍家宣の代になると新井白石によりその政策と収賄を弾劾され,1712年失脚。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荻原重秀」の解説

荻原重秀 おぎわら-しげひで

1658-1713 江戸時代前期-中期の武士。
万治(まんじ)元年生まれ。幕臣。元禄(げんろく)9年勘定奉行にすすむ。幕府財政窮乏打開のため貨幣の改鋳・増発を実施したが,その政策に反対する新井白石らの弾劾により失脚した。正徳(しょうとく)3年9月26日死去。56歳。通称は五左衛門,彦次郎。

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世界大百科事典(旧版)内の荻原重秀の言及

【江戸幕府】より

…綱吉は遺金分配を廃し,80年堀田正俊を農政・国用専管の老中とし,82年(天和2)勘定吟味役を創置,不正代官51名を死罪または免職にした。89年(元禄2)小普請金を創設し収入増をはかったが,館林家臣団の幕臣編入,役料復活,綱吉の大名邸御成(おなり)と恩賜,造寺造仏への支出が膨張したので,荻原重秀は95年より慶長金銀を改悪し500万両の利益を収めたという。97年6000両の酒運上,99年貿易利潤から年数万両を収公する長崎運上金制度を設定した。…

【佐渡金山】より

…その後金銀山はしだいに衰えの速度を速め,寛文期(1661‐73)には衰退の極に達した。91年(元禄4)奉行荻原重秀は海岸から鉱山に向けて大疎水(南沢疎水。900m余)を掘るなど10年ほどの間に総額15万両にも及ぶ大投資を行い,鉱山は一時活気をとり戻すが,享保改革にともなって大縮小を余儀なくされた。…

【地方直し】より

…その対象となった旗本は6500俵以下500俵以上のもので523人に及んだ。これを考案し建策したのは勘定奉行荻原重秀で,そのねらいとするところは幕府の財政立直しとともに幕府権力の集中強化にあった。この地方直しの特徴として3点をあげることができる。…

【正徳の治】より

… 実質的な施策は,家宣の治世が3年余であったので件数は乏しいが,12年勘定吟味役を復活したことは,財政・統治機構の整備強化の面で享保改革の前駆をなす。これと関連して,白石の強い糾弾でようやく家宣も認めた勘定方の独裁者荻原重秀の奉行免職は,従来重秀への評価が白石の《折たく柴の記》の記事に影響されてもっぱら重秀の善悪能否の問題に限られており,今後より客観的な評価を必要とするが,ともかくひとつの政策的転機であった。重秀は家宣の将軍就任直後,財政難解決のため通貨改鋳を提案し,白石の反対により拒否されたが,独断で悪鋳を繰り返した。…

【宝永金銀】より

…このようにわずか5ヵ年間に銀貨が4回,金貨が1回改鋳が行われ,幣制は混乱した。これは元禄期の改鋳によって生じた金銀比価の不均衡を調整しようとしたものであったが,銀座年寄が幕府の勘定奉行荻原重秀と結託して,幕府は改鋳益金を収得し,銀座年寄は銀座収入の増大を意図したことによるところが大きい。その結果,江戸幕府は14年(正徳4)5月銀座の粛正を断行した。…

※「荻原重秀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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